被爆体験継承活動におけるプレイバックシアターの可能性
―ソーシャルワーク実践として―
森 洋介
T.はじめに ― 被爆体験継承活動におけるプレイバックシアター ―
U 被爆体験継承活動の現状と課題
1. 被爆体験の風化
2. 被爆者の方自身の、「語ること」そのものの辛さ、話したくない理由
3. 被爆者の方が、「語る」へ向かう時
4. 被爆体験継承活動のこれからの課題
V.被爆体験継承活動におけるプレイバックシアターの可能性
1. 被爆の体験を語る立場の人にとって ― 癒しと、追悼
2. 体験を聴きそれを受け取っていく立場の世代にとって ― 感情を伴う継承へ
3. 市民による、市民のための平和文化継承コミュニティづくりの場として
4. 平和実現への、社会に向けての発信、社会変容(ソーシャル・チェンジ)の視点
W.プレイバックシアターをソーシャルワーク実践として位置づける視座
1. ミクロからマクロに至るソーシャルワークの実践レベルからみた位置づけ
2. 生活者する主体者の側に立つ実践
3. エンパワメント思想に立つ実践、その「聴く」態度
X.実践にあたっての課題と留意点
Y.おわりに
T.はじめに ― 被爆体験継承活動におけるプレイバックシアター ―
広島、長崎での原子爆弾による被爆。その後、60年の歳月を越えるが、今だ、被爆者の苦しみは癒えず、世界には核兵器が大量に存在し続ける。
本稿は、被爆体験継承活動においてプレイバックシアターが活用される時、そこで何をなし得ることができるのか、その可能性を検討し、提示するものである。言い換えれば、プレイバックシアターが被爆体験継承活動において、どのような役割を果たそうとしているのかについて考察し、提示するものである。
本稿筆者は、これまで、いくつかの「被爆体験継承のためのプレイバックシアター公演」を企画し、実施してきた。
具体的には、例えば、2005年7月9日に、鈴峯女子短期大学の授業の中に位置づけ、鈴峯女子短期大学ボランティア部の運営協力のもと、「広島 被爆60年の今 『証言』 〜平和への願いを青少年に継承すること〜」と題したプレイバックシアター公演を開催した[1]。
公演の趣旨として、当日のパンフレットに次のように書いた。
これまで、「被爆体験」の証言をしてくださった多くの方々のお気持ちの上に、広島の「被爆体験」と平和への願いは語り継がれてきました。しかし、被爆から60年が経ち、継承が徐々に困難になる中、その機会、方法について、さらに模索する必要が叫ばれています。特に青少年への継承活動は、今後益々重要性が高まると同時に、さらなる機会と方法の模索が必要です。
プレイバックシアターという即興劇の手法は、継承の手法として、大きな可能性を感じさせる新たな試みです。語り手のお話を、その場で、一切の打ち合わせなしで即興で劇として表現し、それを見る会場の参加者すべてでその語り手の方のお気持ちを分かち合います。一人ひとりの人生にとっての戦争体験の意味、平和への願いの深さ、それを、全身で、確かめ合うことができるのです。
次の時代を担う青少年世代へ、私たち広島の平和への願いを継承すること。それは、今、この広島の地に生きている私達に課せられた、歴史的な使命です。
当日は、ゲスト劇団として、「プレイバッカーズ」(横浜市を拠点として全国で公演活動をされているプレイバックシアターの劇団)に即興劇を御願いし、そして、語り手として、元鈴峯女子高等学校の教員の方に、被爆に関わる体験をお話いただいた。
参加した短期大学学生は、公演後のアンケートで、「劇を見ていると何度も涙が出た」「今の自分の日々と被爆された日、それは遠いようで近いもの、それを思い知らされた」「地域の方や様々な世代の方と一緒にこの時を過ごせ、様々な思いを共有できたのは素晴らしいことだなと思った」「広島に住んでいると、幼い頃から戦争のことについて聞いていたので、正直に言えば、戦争の話に慣れてしまっていた。しかし、今回、プレイバックシアターという媒介を通して、気持ちを改められたと思う」など、多くの思いを書いてくれた。
また、2006年5月21日には、「2006年度前期シティカレッジ」(主催:教育ネットワーク中国、広島市教育委員会、財団法人広島市ひと・まちネットワーク、場所:広島市まちづくり市民交流プラザ)の講座にて、テーマを「地域貢献活動へ向けて 〜被爆体験継承とプレイバックシアター〜」とし、「劇団プレイバッカーズ」の御協力のもと、被爆体験をお聴きし、語り部の方の心情を劇として表現させていただいた[2]。本稿筆者自身もアクターとして出演した。語っていただいたテラーの方からは、「劇の形であらためて見つめることにより、長い間抱えていた心の重いものも軽くなりました。感謝致します」とのご感想を頂くことができた。また、その他、参加者(観客)の方からは、次のようなご感想もいただいた。「こういう伝え方もあったのか、という驚きがあります。観客が、ただ話を聞くだけではなく、一体となった感じになってしまう」「自分の気持ちを劇として外側から見ることで、これまで自分に見えなかったものが見えたりすることで、抱え込んでいたつらさがふっと抜けたりするのかなあと感じました」「体験者の話(気持ち)を聴いて、即興劇を見ると、自分まで疑似体験したようでとても心に残りました。涙が出ました」。
以上のようなこれまでの実践をふまえ、今後の実践のための質の向上を図るために、プレイバックシアターをソーシャルワーク実践としても位置づけることが可能であるということを明確にしておく必要性も感じている。
本稿の構成は以下のとおりである。まず、一般的な被爆体験継承活動の現状の課題を概観したい。次に、被爆体験継承活動におけるプレイバックシアターの可能性を検討し、仮説的に提示したい。その際、プレイバックシアターをソーシャルワーク実践として位置づける視座を提示したい。そして最後に、被爆体験継承活動におけるプレイバックシアター実践の実施上の課題についても触れておきたい。
U.被爆体験の継承活動、その現状と課題
1.被爆体験の風化
まず、U.では、被爆体験の継承活動について、その現状と課題を、主に、広島市に本社のある地元の新聞社である「中国新聞社」の記事や広島平和文化センターの機関紙をレビューすることを中心としながら、整理しておきたい[3]。
2004年夏の平和宣言(毎年8月6日、平和祈念行事で広島市長が宣言している)で、秋葉忠利・広島市長は、核兵器廃絶が遅々として進まない現状に対し「私たちの多くは時代に流され惰眠を貪っている」と警鐘を鳴らしている[4]。戦後、多くの被爆者、教育者、社会運動家、そして一般の市民が、懸命に被爆体験の継承活動を続けてきた。平和教育という観点で見ても、学校教育だけでなく、社会の広い場面で行われてきた。平和資料館などの公的施設が市民や子どもに影響を与えることも、マスメディアが市民や子どもに影響を与えることも、広い意味での平和教育に含めて考えれば、非常に裾野の広い、地道な営みが続けられてきたといえる。
しかし、戦後60年が過ぎ、直接証言できる被爆者の高齢化という最大の危機的要因が大きくなっているなか、被爆体験の風化が指摘されて久しい。
村上登司文氏は、財団法人広島平和文化センターの機関紙『平和文化No.160』の中で、被爆体験の風化の傾向について、各種調査結果より、1990年代以降、「原爆投下を怒る正義感」や「被爆者や戦争犠牲者に対する共感的理解」の低下傾向が見られること、1990年代後半以降、多くの平和博物館で入館者数の減少傾向が続いていること、2000年代に入って、学校の社会科教科書の戦争・原爆記述が減少し、また広島・長崎への修学旅行数が減っていること、などを指摘している[5]。
教育現場での子どもの状況については、2006年4月19日(水)中国新聞で、広島市教育委員会が5年おきに実施する「平和に関する意識調査」(※注:調査は2005年7月、無作為に選んだ市内の小学4〜6年生1499人と中学生992人の計2491人を対象に実施されたもの)の結果が、「広島への原爆投下はいつですか 児童の5割が誤答」という見出しで紹介されている。広島への原爆投下の年や日時について、広島市内の小学生高学年で5割余が、中学生は三割強が正確に答えられないということであった。正答率は5年前の前回調査よりは改善されたものの、「被爆50年」にあたる10年前(1995年)に比べると、それぞれ数ポイント低くなっているという。この調査結果を受けて、広島市教育委員会は、原爆関連の学習の充実や、平和を幅広い観点から考える活動を積極的に取り入れる必要性などを強調しているという[6]。
被爆者の高齢化は進み、その平均年齢が70歳代となっている今、例えば、「証言活動を始めて11年になる。無理がきかなくなっている」[7]という切実な声が新聞記事の上でも紹介されるようになった。今、被爆体験を直接肉声でお聴きすることの出来る世代が、直接聴いた体験談を、しっかり心に刻み込むことの重要性が益々高まっていると言える。今後生まれてくる世代(被爆者世代の肉声が聴けなくなる世代)にしっかりと実感を持って、平和への願いを伝えていくために。
2.被爆者自身の、「語ること」そのものの辛さ、話したくない理由
また、このような客観的な状況の変化だけでなく、そもそも被爆体験継承そのものに潜む難しさもある。被爆者自身の、「語ること」そのものの辛さである。
被爆の8月6日のことや亡くなった家族のことなどを、世間へはもちろん、自分の子や孫などにもほとんど話したことはないという人は多いという。
1974年と1975年にNHK(日本放送協会)が「市民の手で原爆の絵を残そう」と呼びかけた、「市民が描いた原爆の絵」の募集には、計2,200枚余りの、被爆者が描いた絵が集まったという。直野章子氏は、原爆の絵を書いたその人へお話を伺う仕事を続けて、その結果を著書『「原爆の絵」と出会う』(2004年出版)に書かれている。氏は、その中で、次のように言う。「『原爆の絵』の作者たちを訪ねて意外に思うことがある。私が聴かせてもらうような話は、それまで誰にもしたことがないという人が大半を占める。…(本稿筆者略)…絵の作者たちは、その記憶や思いを絵に託して私たちの前に届けてくれたのだから、他の被爆者に比べれば自らの体験を語ってきた方だろうと思っていた。聴き取りを始めてすぐに、私の考えは間違っていたということに気づかされた」[8]と。
直野氏は、家族にさえもあまり話していないというある被爆者の次のような言葉を紹介している。「生々しい、そういう〔話を〕するのも嫌ですよね。もうそれに関わる人たちも亡くなっていくから、しとこうかいうような、しとかないと、いうような気持ちもいくらかあるかもしれませんけど、私たちも余命いくばくもない〔年齢〕だったら、やっぱり少しはいう、それも考えんわけではないですが、でもやっぱり、いざとなったらいえませんよね」[9]。話したくない理由として、まず、「生々しい話をするのが嫌」、辛いということが挙げられる。
また、話したくない理由として、“生き残ってきたことへのうしろめたさ”という感情があるという。原爆の惨禍の中では、誰もが、助けを求める人を泣く泣く見捨てて逃げざるを得なかった状況であったという。しかし、“人を助けられないで、自分が生き残った”といううしろめたさのため、原爆について語ることをためらうのだという[10]。
また、被爆者の沈黙の背後には、社会に蔓延する差別と偏見がある。特に広島・長崎を遠く離れると、いまだ被爆者やその子ども、さらには孫たちに対して偏見の目がむけられているという。子どもの結婚に影響するのではないかと心配して、娘には話をしていないという人もいるという[11]。
さらに、「大げさに話しているのではないか」「作り話なのではないか」といった反応、「原爆を売り物にするな」という声、一人ひとりの被爆者の声に耳を傾けることもなく、「季節もの」としてマンネリ化した原爆報道を目にして、「また原爆か」とわかった気になっている、など、被爆者をさらなる沈黙に追いやるものとして、このような世間の態度であるという[12]。
3.被爆者の方が、「語る」へ向かう時
しかしこのように多くの課題を抱えながらも、特に2005年の“被爆60周年”を機に、あらためて、被爆体験を次の世代に伝えるために、それを語ろうと決意される被爆者の方の思いも強くなってきているようである。
中国新聞の記事[13]によると、広島市の外郭団体である広島平和文化センターが2006年4月に市内で被爆証言活動に取り組む17団体にアンケートしてまとめた結果、近年、広島市を訪れる修学旅行生らへの被爆体験の証言活動の件数が増加しているという。
「話したくないという思い」を乗り越えて、語ること、表現することを決意された被爆の思いが、また、ある。それは、まず、二度とこのようなことが起こらないよう体験を継承せねばならないという強い思い、そして、亡くなった方への弔いの思いからのものである。
2005年7月に実施した被爆体験をお聴きする公演でテラーとして語っていただいた檜木田迪子氏は、手記を寄稿されている被爆体験集『木の葉のように焼かれて 第22集』の中で平和への希求の思いを次のように記している。「『地獄をみた』― あの日の広島を経験したものの心深く、つらく、悲しく、腹立たしい思いです。この『地獄絵図』を、二度とくりかえしたくはないのです。それなのに、『殺人』を主題とした小説や映像の氾濫する現在を思うと、暗たんたる気持になります。人も、動物も、植物も、ありとあらゆる生命を尊重する世の中であってほしいと願わずにはいられません」[14]。
弔いの思い。先述の、NHK放送局による「市民が描いた原爆の絵」の募集には、計2,200枚余りの、被爆者が描いた絵が集まったというが、その内100枚以上の絵には、〈合掌〉〈合掌念仏〉など死者を慰める言葉が添えられているという[15]。
また、直野氏の『「原爆の絵」と出会う』には、NHK放送局からの絵の募集の呼びかけに応じた千原雪江氏の次のような言葉が紹介されている。「下手でもいいから、あの女の子たちを描こう、あの子たちがここで死んだことを描いたら、あの子たちの魂は浮かばれるんじゃないか思うてね」[16]。被爆者の思いとしての、追悼のお気持ちを我々に教えてくださる言葉である。
前出の檜木田氏が、2005年7月に実施した被爆体験をお聴きする公演で、被爆したその夜に亡くなられた双子のお姉さんの遺影を胸に抱かれながら語られた姿も、本稿筆者の心深くに残っている。
4.被爆体験継承活動のこれからの課題
以上、被爆体験継承活動の現状について見てきたが、これを受けて、活動のこれからの課題を挙げたい。
第一に、若い世代へ伝えるためのより有効な方法を検討することである。若い世代、特に子どもへの継承にとって、触れる機会を増やすには、子どもから見た場合にあまり敷居が高くない方法も検討する必要がある。例えば、言葉だけでなく、視覚的な方法で伝えることの模索である。すでに、映画、絵画、アニメーション、コンピューター・グラフィックなど、多くの試みがなされているが、さらなる模索を続ける必要がある。
第二に、一人の人間としての体験としてのリアルさをしっかりと伝えること、さらに具体的には人間としての“感情”をどう継承するか、という課題がある。これも、演劇や朗読などの表現方法を用いる試みが続けられているが、さらなる模索を続ける必要がある。
第三に、被爆者自身の、語ることの辛さを理解し、支えることの重要性を認識し、具体的な方法を模索することである。どれだけ語っても伝わりきらないと感じる空しさ、悔しさ、思いをわかってもらえないという苛立ちなどを、真摯に受け止め、被爆者の方自身をしっかりと支えることのできる活動としてなされるよう、意識することが、ますます必要となる。いやむしろ、より積極的に被爆者の方にとっての癒しや励ましとなり、さらには被爆で亡くなった方の追悼となることに重きを置いたものとして位置づけた活動をしていくことを真剣に検討する必要があろう。
近い将来に来る“被爆70周年”には、ご存命の被爆者の人数はさらに少なくなり、現在のような継承活動を行うのが相当困難になっていく。直接あの惨状を体験し、そして語ろうとされている方からまだお話をお伺いすることのできるこのたった今、なすべきことは多い。
V.被爆体験継承活動におけるプレイバックシアターの可能性
次に、近年の一般的な被爆体験継承活動の現状と課題と照らし合わせながら、プレイバックシアターのどういった特性がその課題を克服していくために有効であると考えられるか、検討し、仮説的に提示してみたい。
論点を明確にするため、被爆の体験を語りそれを次の世代に継承していこうとする立場の人にとってのプレイバックシアター実践の可能性と、体験を聴きそれを受け取っていく立場の世代にとってのプレイバックシアター実践の可能性とに分けて検討する。そして、その両者が向かい合い語り合う場(コミュニティ)としてのプレイバックシアターの可能性、社会変容の視点からの可能性にも言及したい。
1. 被爆の体験を語る立場の人にとって ― 癒しと、追悼
まず、被爆体験を語る立場の人にとってのプレイバックシアターの特性である。以下、第一から第四まで、四つの点に分けて検討する。
第一に、他の継承活動では取り立てて題材として扱ってくれないような極めて個人的な生活の喜びや悲しみを表現できる機会を得ることができる。プレイバックシアターが題材にしているものは日々の生活場面である。つまり、なにげないと思われる日々の営みを大切にする。これを被爆体験継承にかかわるプレイバックシアターに照らし合わせて考えてみると、なにも、まさに特別な日そのものである「あの日」、1945年8月6日だけに限定する必要はなく、それもふくめ、これまでの人生の中でのあらゆる場面をお聴きすることが可能であるということになる。現状の被爆体験継承活動の課題として、ことさらに「あの日」の悲惨さやむごさのみ強調するあまり、その悲惨さやむごさへの嫌悪感から継承活動や平和教育から一般の市民が遠のいているという指摘がある。こういったこれまでの継承の方法の限界を超えることのできる特性をプレイバックシアターは持ち合わせているのではないだろうか。
第二に、「伝える」という表現技術のハードルを意識する必要が少なく、話すことへの困難さが低いことが挙げられる。「語り手」が話の構成をまとめておかなくても、それを気にすることなくストーリーを語ることができる。なぜなら、コンダクターが案内役としてストーリーを構成してくれる側面もあるし、アクターが演じながらストーリーを構成してくれるからである。また、「語り手」が聴衆に聞こえやすい声や話し方で話す必要もない。なぜなら、インタビューは冗長にならないように工夫されるのでアクターや聴衆は集中力を持続して丁寧に耳を傾けることができるし、もう一度再現されるそのストーリーを聴衆に伝えるという大きなエネルギーが必要な役割は、アクターが担ってくれるからである。
第三に、癒しの場となることである。
癒しの作用が起こる理由の一つは、自己の感情を客観的に捉えることが可能となることである。プレイバックシアターそのものの特性として、自分が主人公である即興劇を客観的に、少し心理的に距離をとって観ることで、出来事や自分のストーリーを客観的に距離をもって眺めることが可能となる[17]。すると、自分を覆いつくして支配し、自分に心理的な苦しみを抱えさせてしまうほどの感情を、自分から“手放して”見ることができ、なおかつ、劇の中で視覚的な形が与えられることにより、その感情を客観的に捉えることができ、コントロールしやすくなる。この理論はカウンセリング分野において、例えば、ユージン・ジェンドリン氏によるフォーカシングで活用されている。フォーカシングには「クリアリング・スペース」と呼ばれる方法があり、それは、間を置くことであり、具体的には、自分が今気になっていることを思い浮かべながら、それを空間的なイメージのなかで、自分が安心できるところに“置いていく”という方法であるが、諸富祥彦氏は、この効果について、「間を置く」ことによって、私たちは、自分と自分が抱えている問題とを分けることができ、さまざまな問題に巻き込まれていない『自分』の存在を実感することができ、そのために「気力が戻ってきた」感じがする、と事例を通して紹介している[18]。
理由の二つ目は、他者に理解してもらえたという、他者との一体感である。他者が自分のために演じてくれたという体験が、自分が他者から肯定されているのだという安心感をつくる。自分がグループの人に受け入れられる肯定的な体験となる。さらには、演じている人(アクター)が共感的な体験をし、そのアクターが共感してくれているのだという事実が語り手に伝わることにより、語り手本人の癒しを促進する[19]。つまり、自分の気持ちが受け入れられた、理解されたということを実感できることが、本人の癒しとなるのである。
理由の三つ目は、浄化作用である。自分の話を語ることで感情が浄化され、それを劇として観ることによってさらに浄化効果が高まる、といわれている[20]。例えば、無気力や虚脱の状態の人は、悲しみや怒りといった、過去に発散されなかった抑圧された強大な感情があり、その人の自我はこの強い感情を抑圧し続けるために強大なエネルギーを費やし、そのために社会的な活動をするためのエネルギーを消耗してしまっている状態であるといえる。語り、涙を流すことにより、その強大な感情のエネルギーは解放され、抑圧する必要がなくなり、人は気力を取り戻していくのである[21]。
そして癒しが起こる理由の四つ目には、あるがままの自己を自らが受容する機会となり、それが自己の肯定的な変化を生む、ということである。厳密に言えば、これは、単なる「癒し」にとどまらず、肯定的な心理的変容、自己成長が起こるということである。
カール・ロジャーズ氏のカウンセリングの基本理論は、人があるがままの自分自身を心の底から受け入れた時、はじめてその人に変化(よりその人らしく、よりよく生きる方向への)が生じてくるというものである[22]。そして、このロジャーズ心理学では、このように人が自分の心の声に耳を傾け自分を受け入れていくためには、「他の誰かから無条件に受け入れてもらえるような共感的」人間関係が必要であり、その中で十分に自分自身でいられるような「心理的空間」を提供することが必要なのだという[23]。諸富氏もこれを受けて、「人は、他者との関係の中ではじめて『ひとり』になれる」[24]と述べている。
プレイバックシアターの場におけるテラーにも、このカウンセリング関係と同様の状態が起こることがある。つまり、アクティングが続いているのを観ている時間、テラーは、いわば「自己や自己を取り囲む諸関係についての通常の意識がすべて消え去っていくある種の変性意識状態」[25]の中で、「ひとり」になり、自分のストーリーと向かい合っているのである。
本稿筆者としては、被爆体験継承にかかわるプレイバックシアターを実践する中で、被爆体験の語り手の方に「データとして、材料として、客体としてではなく、一人の“人間”として、しっかりと受けとめられる」体験とそこで得られる癒し、変化を体験していただきたいという気持ちが強い。
なお、この“語りを聴いてもらうことが癒しとなる”という構造については、ナラティヴ・セラピー[26]、「傾聴ボランティア実践」[27]、などからも学ぶべきことが多いと思われる。今後のさらなる研究課題である。
そして、被爆体験を語る立場の人にとってのプレイバックシアターの特性の第四として、本稿筆者は、プレイバックシアターでは、ストーリーが語られ、表現されることにより、亡くなった方への慰め、追悼がそこに起こると感じている。また、追悼の思いを表現することが可能であると考える。
U.において、NHKテレビ放送局からの絵の募集の呼びかけに応じた千原雪江氏の「下手でもいいから、あの女の子たちを描こう、あの子たちがここで死んだことを描いたら、あの子たちの魂は浮かばれるんじゃないか思うてね」という言葉を紹介したが、絵のかたちで表現することにより起こることと同じことが、劇のかたちでの表現でも起こると考えている。
同様にU.で紹介した檜木田氏も、被爆したその夜に亡くなられた双子のお姉さんの遺影を胸に抱かれながら、語られたが、檜木田氏のお姿からは、お姉さんへの追悼のお気持ちがひしひしと我々にも伝わってきた。
2.体験を聴きそれを受け取っていく立場の世代にとって ― 感情を伴う継承へ
次に、被爆体験継承の使命、目的であるところの、若い世代へ伝えるという課題におけるプレイバックシアターの特性は何か。
第一に、聴衆としての若い世代への伝えやすさ、このインパクトの高さが挙げられる。具体的には、まず、視覚的に捉えられるということにより、若い世代が感覚的に理解しやすいということが挙げられる。活字を敬遠しがちで、映像文化に馴染みのある世代には、伝えやすい要因となり得る。また、観客(オーディエンス)がストーリーを感情を伴って感じられるという特性は、観客の記憶に印象深く刻まれるという点において、“記憶の継承”には大切な要因となる。
第二に、若い世代の人が、アクター体験をした場合に起こる、感情を伴う共感的理解の可能性である。演じることによりなされた追体験の意味である。からだ全体で“追体験”することは、たとえそれが疑似体験であるとしても、ただ耳で話を聴くということ以上に、その人の記憶に刻まれるだろう。そもそも、プレイバックシアターとして演じるためにアクターがテラーのストーリーを“全身で聴く”という行為そのものが、通常の“聴く”こと以上の集中力でなされるものであり、その後の“追体験”で、テラーの身により近づく、あるいは、なりきる境地まで共感感覚を深めることになる。
中国新聞の2006年8月1日(火)17版28頁に、「明日への扉 被爆者運動50年G 原爆は昔話か 追体験した若者も発信」という特集記事がある[28]。記事によると、ある大学の大学生たちが被爆体験記の英訳に取り組み、それをきっかけに「六十年たっても心に深い傷を残す原爆の恐ろしさを知り、傍観者でいられなくなった」として、国内外の大学生の核兵器に対する意識をメールで問う調査を行うようになったり、原爆詩を点訳したりする学生も現れたという。英訳を指導した大学の指導教官は「情報でしかなかった原爆被害を身に付けることで、自分なりの表現方法を考え、実践するようになった」と学生の変化を指摘している。本稿筆者は、これを、翻訳作業というかたちで被爆者の語りを“追体験”したことがこの大学生たちの平和への思い、実践を導き出す力を引き出したのだと捉える。プレイバックシアターにおけるアクターの“追体験”も、これと近い感覚があるのではないだろうか。
本稿筆者自身も、ある被爆者のストーリーを、テラーズアクター(体験を語るその人、主人公の役で演じるアクター)として演じさせていただいた。今もその語っていただいたテラーの方の、苦しさや悲しさを自分なりに感じ取り、その感じは私のからだにしっかりと残っている。その自分なりの“追体験”の思いが、この被爆に関わるストーリーをプレイバックシアターでお聴きする活動をしっかりと続けていこうという行動の支えとなっている気がする。
財団法人広島平和文化センターの機関紙『平和文化No.160』(2006年3月号)の中で、村上登司文氏は、「子どもや若者の感性に訴える平和教育の新しい内容と方法を開発し続ける必要」があるとし、感性に訴えるには感情移入を図ることのできる手法を取り入れる必要がある、という。その上で村上氏は、被爆者でない者が継承活動をする際、被爆者である証言者の語りの効果に近づけるため、「過去の戦争体験を演劇的素養を身につけて継承する若者の『ガイド養成コース』を広島に作る」ことを提案している[29]。プレイバックシアターの活動は、こういった取り組みとも手を取り合い、連携していくことによって、平和教育の手法、平和貢献活動の一環として明確に位置づけることができるであろう。
さらに、今後の研究課題として、プレイバックシアターによる「追体験」がどのような構造であるのか、どのような体験として学問的には説明できるのか、より詳細な検討を行っていきたい。それには、サイコドラマ、ドラマセラピー、歴史劇等の研究が役立つであろうと考えられる。
3.市民による、市民のための平和文化継承コミュニティづくりの場として
1.と2.では、語る側と受け継ぐ側のそれぞれの側面からプレイバックシアターの特性を検討した。次に、この3.では、その両者が向かい合い語り合う場(コミュニティ)としてのプレイバックシアターの可能性について言及したい。
創始者ジョナサン・フォックス氏の、後にプレイバックシアターへと結実することになる体験に、ネパールでの原始共同体生活体験があるという[30]。
「そこには工業化されないままの素朴な生活があり、人々は季節の移り変わりに合わせて日々を過ごし、自然と調和して暮らしていた。共同体の祭りや儀式が行われるときには、ふつうの人がその日だけの祭りの司祭に、ダンサーに、巫女になっていた。そして、祭りが終わるとまた日常の生活に戻った。特別な人だけが特別な役割を担うのでなく、ごくふつうの人がある場面では特別の役割を務める。そしてまた、ふつうの人に戻る」[31]。
プレイバックシアターの基本的理念の一つに、「演じるのは、『市民アクター』である」という理念がある。つまり、そこには、テラーとアクターの間の上下関係はない。専門家、非専門家の区別もない。ともに、一市民同士として向かい合う、聴き合う姿勢がある。「市民が、市民のために、市民生活に根ざした劇を演じる」[32]のである。
プレイバックシアターは一般の市民同士の日常生活での“聴き合いの場”を設定するきっかけを作り出し、またその場のコミュニケーションの深化を促進する。そもそも、現代社会の傾向として、前の世代の生きる叡智が次の世代へとうまく継承されていかないという現象があるとすれば、その一因として、世代間のコミュニケーションの断絶傾向が挙げられるであろう。現代の若い世代への被爆体験継承が可能となるための前提条件である、聴き合いの場の確保と、場に起こるコミュニケーションの深化が、プレイバックシアター実践によって可能となるのではないだろうか。
被爆体験継承活動の場面について言及すると、これまで一般に行われてきた被爆体験継承活動や平和教育活動における「語り部」の講演の場は、語る人が聴衆に“奉仕”するという構造、つまり、「語り部」が与える側、児童生徒達がそれを受け取る側という構造、となってしまうことも時にあるという。さらに、時には、小中高の学校教育現場などで“無理やり平和教育の場に連れてこられた”生徒などが居眠りをしていたりなどする時もあるという。そのような時は「語り部」の方の消耗、「むなしさ」は筆舌に尽くし難いものであると想像する。
プレイバックシアターによる被爆体験継承は、この、時に起こりうる「むなしさ」を抱える構造とはまったく逆の構造で行われる。つまり、アクターは、その“からだ”、その“演技”、その“舞い”によって、テラーのストーリー、テラーの存在に敬意を捧げる。いわば、テラーの方に向けての精一杯の「奉仕」であり、「奉納」である。さらに、その場に集まった聴衆、人々が、テラーのストーリー、テラーの存在、テラーの魂に敬意を捧げる場となる。さらに言えば、実はアクターも含めてその場に居合わせた聴衆をもが、その尊厳に満ちた癒しを共有することになる。そして先にも述べたように、それは、その場に居合わせた聴衆をもが、被爆によって亡くなった方への追悼の意を捧げる場となる。
U.で紹介した檜木田氏も、被爆したその夜に亡くなられた双子のお姉さんの遺影を胸に抱かれながら、語られたが、檜木田氏だけでなく、その場にいたすべての者が亡くなられたお姉さんへの追悼の思いを抱きながら劇を観ていたのではないだろうか。
そこで起こることの本質は、テラーの存在そのものの癒し、そしてそこで集う人々の癒し、さらには、亡くなった方への追悼である。そして、そういった人間的な営みを通して初めて、あくまでその結果として、本質的な「平和への願い」「他者の尊厳への敬意」が継承されていくのではないだろうか。単なる客観的事実の継承というよりも、むしろ、「口承文学」による、人類の智慧の継承のように。
プレイバックシアターが、このような本質的ないとなみが立ち現れる媒介となるため、我々は丁寧な実践を積み重ねていく必要がある。「しっかりと聴き合えること」が社会変容の原動力となる。「丁寧に聴き合える文化、お互いの存在をいとおしむことができる文化」をつくることができるのが、プレイバックシアターの強みである。そして、その社会的使命である。
4.平和実現への、社会に向けての発信、社会変容(ソーシャル・チェンジ)の視点
被爆体験の継承の活動は、個人の癒しや体験者・死者への追悼だけがその使命ではない。むしろ、被爆者の願いは、自らの体験を語り伝えることにより、現実のこの社会が、二度とあのような辛い思いをすることのない平和な社会へと変容していくことである。被爆者の方一人ひとりが本当に伝えたいこと、「継承」したいことは、「客観的に何があったのか、どのようなことがあったか」ということだけに止まらず、「もう二度と戦争を起こすような社会にしてはいけない」という平和を願う気持ちである。
その意味で、プレイバックシアター実践による社会変容(ソーシャル・チェンジ)の視点、その可能性を検討しておく必要がある。
ジョナサン・フォックス氏はプレイバックシアターが目指しているもの、特にその社会貢献について、次のように言う。「私の希望は、プレイバックシアターが儀式[33]のような存在となり、特定の個人を癒すだけでなく、社会全体が過去の遺産として引き継いでしまった不法行為や動乱の傷を癒す作業の一端を担いたい、というものである」[34]
具体的に、国際的平和の構築というテーマで、考えてみたい。
最上敏樹氏は、その著書『いま平和とは ―人権と人道をめぐる9話―』(岩波書店)に、ユダヤ-パレスチナ問題に取り組み続け二つの民族の和解のための共同作業を行った、パレスチナ人のエドワード・サイード氏(コロンビア大学教授)と、ユダヤ人(イスラエル人)のダニエル・バレンボイム氏(ピアニスト、指揮者)の活動とその発言が紹介されている。二人の主張は、「イスラエルよりパレスチナが正しい」「パレスチナよりイスラエルが正しい」というのではなく、アウシュビッツ以後、誰もがこうむってはならないはずだった悲惨を、一つの民族が他の民族に与えるのはおかしい、というものであったという[35]。
さらに、同書では、バレンボイム氏が反ユダヤ主義者であったリヒャルト・ワーグナーの曲をエルサレムで演奏するという試みを多くの反発を受けながらも実施したことに関連し、バレンボイム氏の思いを、「民族固有の経験とは切り離して認めざるを得ない、普遍的な価値に目を閉ざすのは止めよう、と言っているかのようです」[36]と解説している。
この場合の「普遍的な価値」というのは、ワーグナーの音楽の素晴らしさのことなのだが、プレイバックシアターのアクティングで表現される「ストーリー」も、これと同様に、「民族固有の経験とは切り離して認めざるを得ない、普遍的な価値」であると考えられるのではないだろうか。
全人類に共通した人権侵害問題として、戦争被害の実相を見ること。それは、あくまで個人的体験であることを、ありのまま見ることによって可能となる。“日本人の”話ではなく、“アメリカ人”の話ではなく、“イスラエル人の”話ではなく、“パレスチナ人”の話ではなく…、あくまで、“全世界人類の一人としての”体験表明ができる可能性が、プレイバックシアターには、その構造上の特性により、存在する。また、そのようなものとしてプレイバックシアターの枠組みを守ることが重要となる。
広島の被爆体験継承に関しても“全世界人類の中の一人”の人間のストーリーであるという視点が重要となるであろう。
このような、まったく個人的な体験談(ストーリー)が普遍性をもったものになりうるという点について、佐藤卓己氏は、次のように言う。「普遍性を持ったメッセージとなるためには、逆説的だが、語り手個人の特殊性を明確にすることが重要。個性がないところに普遍性もない。出来合いの言説と結びつけて何かを発信するのは相手の本音の部分まで届かない。ありきたりの平和アピールから離れ、被爆体験を足元から見直す中で外に開かれた普遍性が獲得できるのではないだろうか。国連総会でなされるような議論を個人の体験と直接結びつけるのはむしろ誤解される。これまで広島の取り上げられ方は幸福なものではなかったし、政治的に利用された側面も否定できない。そのために抑圧された個人の感情も当然あるだろう。今こそもう一度個人レベルに戻って、記憶を自分たちの手で歴史化する作業が着実に進められるべきだ」[37]と。
一例を挙げれば、こうの史代氏のマンガ「夕凪の街 桜の国」[38]は、被爆10年後の広島で生きる女性とその後家族の日常を描いたものであるが、政治的なメッセージはほとんど表明されていないが、それゆえにこそ、大きく読む人のこころを打ち、多くの共感を得ているようである。
最も個人的な体験というのが、最も普遍的なものに通じる、つまり、極めて個人的な体験を聴くということが、人類全体の普遍的な体験、思いを聴くというところにつながるということである。そこに、政治的イデオロギーを越えた、耳を傾けあう姿が可能となる。なぜならばそこで語られるストーリーが、他者の意図や政治的狙いを超えたものだからだ。
なお、政治的意図の発言と個人的体験談(ストーリー)の表明の対比という視点については、次の佐藤卓己氏の整理は参考になるだろう。「被爆体験の私的な感情(世論)と政治的な意見(輿論)はイコールでは結べない。個人の体験が『広島の記憶』として無理に国民化されてきたのではないか。それによって実際さまざまな問題が起き、かなり党派的に扱われてきた。ポピュラー・センチメント(私情)はパブリック・オピニオン(政治的意見)に劣るものではなく、従属するものでもない。両者の違いを直視しなくては被爆の体験は継承できないのではないか」[39]。
佐藤氏は言う。「個人同士の対話には、国家の敵味方を超えた共感の回路はある。広島をナショナルな記憶の回路からはずすべきだというのは、個人的な共感の回路が大切だと思うからでもある」[40]。
「ヒロシマの声」は、これまで、少なくとも外側からは、「核兵器使用という特殊性を強調した発言」、「政治性発言」が注目され、求められてきたともいえよう。むしろ、そこで無視されてきた「個人の感情」を、丁寧に聴いていくことをこれからはもっと真剣に考える必要がある。
伝える、そして、かけがえのない一つひとつのストーリーから人類の英知を学んでいく、というプレイバックシアターの特性は、そもそもジョナサン・フォックス氏がプレイバックシアターをつくりあげたヒントの一つとして「口承文学」の存在を挙げていることからも明らかである。宗像佳代氏は、口承文学から引き継がれたプレイバックシアターの特性を、「口承文学では語り継がれる物語に深い意味をもたせている。プレイバックシアターも個人のストーリーに深い意味があると信じている」と説明し、「古い叙事詩が社会貢献を果たしていたようにプレイバックシアターも単なるエンターテイメントではとどまらず、社会的存在となっている」と指摘している[41]。被爆者から語られるかけがえのない一つひとつのストーリーから、人類の英知を学ぶ営みを真摯に続けて行きたい。
国際平和への取り組みで、カウンセリングの学者であり実践者であったカール・ロジャーズ氏は、パーソンセンタード・アプローチを標榜し、エンカウンター・グループを活用して世界平和の課題に取り組んだことはよく知られている。これについて、諸富祥彦氏は、例えば、国連のような国際機関が平和実践のリーダーを育成しそれを紛争地域に派遣するというような「上から」のアプローチよりも、「規模は小さくても『草の根』的な運動として積み重ねられていく時にこそ真価を発揮するのではないか」と、そのパーソンセンタード・アプローチの、草の根的な性格を強調している。カール・ロジャーズ氏が取り組んだ「エンカウンター・グループ」は、人間そのものに焦点が当てられるものであり、国や文化、人種などの相違はさして重要ではなくなり、それらの違いを超えた人間と人間のふれあいが可能であるという[42]。
この、エンカウンター・グループの特性は、プレイバックシアターの特性とも共通のものであるといえるであろう。
社会変容(ソーシャル・チェンジ)のために、平和への願いを訴える。しかし、力んで、力んで、大きな声で叫べば叫ぶほど、社会には受け入れられなくなりがちである。むしろ、地道に、着実に、ただ、ありのままの人間のストーリーを聴き合い、受けとめ合い、かみしめるなかで、平和への想像力、創造力を共有していきたい。そしてすでに述べたように、この実践は、特別な立場の平和問題専門家と呼ばれるような人だけでなく、一般市民が、日常の中で地道に取り組むことにまた大きな意味がある。それが可能となるのが、プレイバックシアターであると思う。
W.プレイバックシアターをソーシャルワーク実践として位置づける視座
1.ミクロからマクロに至るソーシャルワークの実践レベルからみた位置づけ
V.で整理してきた被爆体験継承にかかわるプレイバックシアター実践の可能性、特性を見ると、それが、ソーシャルワーク実践としての意味合いをもつことが充分にうかがえる。
被爆体験継承にかかわるプレイバックシアター実践は、まず、被爆の体験を語る立場の人、体験を聴きそれを受け取っていく立場の人、それぞれにとって、ケースワーク、グループワークとしての側面を持つ。特に、個人が自らのこれまでの人生を振り返り、その体験を再統合し、自己の尊厳を確認することができる点は、個人の尊厳をエンパワメントするという重要なケースワークの働きである。また、この働きが集団内の相互作用によってなされる点もグループワークとして重要な要素である。
次に、市民による、市民のための平和文化継承コミュニティづくりの場としてのプレイバックシアター実践は、コミュニティワークとしての側面を持つ。特に、地域住民による主体的なコミュニティの形成、しかもそれが被爆者の尊厳を守ろうとする福祉コミュニティの形成である点は、重要なコミュニティワークの働きである。
さらに、平和実現への、社会に向けての発信、社会変容(ソーシャル・チェンジ)の視点から被爆体験継承にかかわるプレイバックシアター実践を見ると、よりマクロのソーシャルワークの働きとして、ソーシャル・アクション、さらには国際社会福祉実践としての視野で捉えることが可能である。
以上は、ミクロからマクロに至るソーシャルワークの実践レベルからみた位置づけであるが、次に、実践原理の視点から、プレイバックシアターのソーシャルワーク実践としての位置づけを見ていきたい。
2.生活者する主体者の側に立つ実践として
社会福祉は、社会保障制度の一部ではない。むしろ、社会保障制度の原理とは違う、独自性がある。そういった学問的立場から、社会福祉の独自性を理念的に明らかにしようとしたのが岡村重夫氏であるが、彼は、社会福祉実践(ソーシャルワーク)としてのケースワークについて、次のように述べている。「技術としてのケースワークが成立するためには、まず何よりもその視点、ないし、立場の基本的な転換が行なわれねばならなかった。すなわち、救済を与えるものの立場から離れて[救済をうけるものの立場]にその視点を移すことがそれであった」[43]と。つまり、社会制度の側からの立場で生活問題を把握するのではなく、あくまで生活する主体者の側の立場で、生活問題を把握し、その解決を図るところに、ソーシャルワーク実践の独自性、基本原理があるといえる。
ところで、プレイバックシアターが取り上げる個人的体験としてのストーリーについては、それが「非公式なストーリー」であるとして、「公式なストーリー」と対比させて説明される。例えば、宗像佳代氏は、次のようにこれを説明している。「ある人の個人的な体験は、その場にいる人が生きている時代を反映する『非公式なストーリー』である。歴史や新聞は、いつ、どこで、何が起こったかという事実を伝える『公式なストーリー』である」[44]。そして、この「非公式なストーリー」の特質として、次のように説明する。「プレイバックシアターでは同じ事実を個人の視点から切り取って『非公式なストーリー』として社会に伝承する。非公式なストーリーは、その事実がある個人の人生に与えた影響を訴える。社会が抱えている問題が目の前にいる人の生身の体験として、表現される」[45]と。
この「非公式なストーリー」「公式なストーリー」という概念の対置は、ソーシャルワーク実践でいうところの「生活する主体者の側の立場」「社会制度の側の立場」という概念の対置と同様の構造であるといえるのではないだろうか。つまり、「非公式なストーリー」とは「生活する主体者の側の立場」からのストーリーであり、「公式なストーリー」とは「社会制度の側の立場」からのストーリーであると言うことが可能であろう。この、生活する主体者としての立場から見えるストーリーを、同じ立場で、共に見ようとするのがプレイバックシアターの場であるといえるだろう。そしてもちろん、生活する主体者のストーリーには、個々の生活者の個別性があるというのが必然であり、これは、プレイバックシアターの、“個人的な体験談を聴く”という個別性を重んじる思想とも一致する。
そして、プレイバックシアターの場で、テラーから表明され、アクターが表現したストーリーを参加者(オーディエンス)が受けとめ、その意味を噛みしめることによって、テラーのエンパワメント、さらには、その代弁機能(アドボカシー)を実現する場となりうるのである。
そして、プレイバックシアターの構造は、ソーシャルワークの中でも、セルフ・ペルプ・グループの構造に近い。セルフ・ヘルプ・グループにおいては、クライエントの問題解決に力を発揮するのは、ソーシャルワークの専門家ではなく、問題状況の当事者同士の相互援助である。専門家がかかわる場合でも、その当事者同士の相互援助のプロセスを側面的に支えるのみである。
プレイバックシアターは、技術的な構造としては、ただストーリーをお聴きし、演じるのみである。具体的な対処法、手立てをさしのべるわけではない。しかしながら、ここにはソーシャルワークの専門家にはなしえない、大きな働きがある。一般的なソーシャルワークの代弁機能は、あくまで、専門家たるワーカーが“社会に訴える”仲介役を果たすことが基本的な方法となる。その点、プレイバックシアターの場合は、生活者たるその人自身が、テラーとしてストーリーを観客の前で語ることにより、“生活の現状”“社会のゆがみ”などを直接表明できる。声高に叫ぶのではなく、ありのままの姿を見せることによって。そのような場が、ソーシャルワークの専門家でなくても、“市民アクター”によって充分実現できるという点に、プレイバックシアターの大きな特性、魅力があると考える。
3.エンパワメント思想に立つ実践、その「聴く」態度
本稿筆者は、プレイバックシアターで表現される一人一人の人間の尊厳ある姿が、社会を照らしていく、そして今だ不安定なこの社会をより平和な社会へと変容させていくという発想を持っているが、これは、知的障害児施設「近江学園」創設者で、「精神薄弱児(知的障害児)の父」といわれた、糸賀一雄氏の「この子らを世の光に」という言葉に教えられたことが大きい。氏の著『この子らを世の光に』には、次のような言葉がある。「精神薄弱といわれる人たちを世の光たらしめることが学園の仕事である。精神薄弱な人たち自身の真実な生き方が世の光となるのであって、それを助ける私たち自身や世の中の人々が、かえって人間の生命の真実に目覚め救われていくのだ」[46]と。糸賀氏の言説の対象は知的障害児であり、本稿で取り組んでいる被爆者の方とはまたテーマ、対象が違う。しかし、お話を聴かせていただくコンダクターやアクターの姿勢としては、まったく同じ構造であると、本稿筆者は考えるのである。であるから、もし、“この方々のストーリーに世の光を当てる”姿勢で被爆者の体験をお聴きするなら、それは聴き手の傲慢であると思うのである。むしろ、“この方々のストーリーを世の光に”、という姿勢でありたい。より厳密に言えば、“もうすでに初めから光である”、お一人お一人の人生の尊厳、ストーリーが本来の姿である光としてしっかり見える場を用意させていただく、ということになろうか。そして、“この方々のストーリーを世の光に”という構造、姿勢を明確にしようとするのは、ソーシャルワークでいうところの「エンパワメント」の考え方であるが、それは、プレイバックシアターの考え方と共通する考え方であるといえるのではないだろうか。
ここまで、プレイバックシアターをソーシャルワーク実践として位置づける視座を、ミクロからマクロの実践レベルという視点と、原理の観点から提示した。このように、実践者の視座、立場を明確に意識することにより、プレイバックシアターに参加するテラーの方やオーディエンスの方の尊厳、人権を意識した、より質の高い実践が可能になっていくと思われる。
X.実施にあたっての課題と留意点
もちろん、プレイバックシアターの活用は利点ばかりではない。被爆体験をプレイバックシアターでお聴きする場を設定していく際に起こりうる、現実的な課題を、いくつか挙げておきたい。
第一に、歴史的事実の次世代への継承という点の歴史学的論争における課題が、プレイバックシアターの実践にも当てはまる。
「歴史的事実の継承」という側面で見ると、テラーが話したことは「科学的、客観的事実」ではないのではないかという批判にさらされる可能性がある。プレイバックシアターでアクターが表現しているのは、唯一テラーが捉えた世界の表現であるので、他の誰もが科学的、客観的事実だと証明できる性質のものではない[47]。
第二に、実際に公演(パフォーマンス)を行う際の場の構成上の留意点がある。パブリック・オピニオン(政治的意見・輿論)ではなくポピュラー・センチメント(私情・世論)としての「語り」が許される場である、政治とは切り離したあくまで個人的な体験談としてお聴きする場であるということをしっかり参加者に説明し、テラーの“安全枠”を形成することが必要であろう。「あくまでここでお聴きするのは個人の体験であり、何かの政治的主張をするための道具として劇を利用するのではない」という、プレイバックシアターのアイデンティティを明確に守る必要がある。
これに関して、本稿筆者の実際の体験であるが、被爆体験をお聴きする公演を開催するために、ある被爆者の方に参加を打診した。すると、その方は、「会全体の雰囲気が“戦争絶対反対”の雰囲気であろうから、必ずしもそうではない(“戦争絶対反対”ではない、太平洋戦争がすべて間違いだったと思っていない)私は、参加しても発言することはできないだろう」とおっしゃった。本稿筆者は、プレイバックシアターではその場にいるすべての方の発言の権利が尊重されると説明し、あなたのその思いをお話しいただくことも可能ですよ、と説明した。その結果、結局は公演に参加してくださったが、その方から太平洋戦争の是非について触れるような発言はなかった。もちろん、政治的主張をする場ではないし、その場にいけば、太平洋戦争の是非などは言う気がしなくなったのであろうから、発言がなかったという事実は、特に問題ではないかもしれない。が、本稿筆者としては、ありのままのお気持ちを封じるような形になったのかもしれない、と、心配が残った。このような場合、今後はどう対応すればよいのか、具体的検討が今後とも必要である。
第三に、これも本稿筆者の実際の体験であるが、プレイバックシアターを、まだまったく知らない人に紹介する時、「即興などの“安易な”方法で被爆者の思いが大切にされるはずがない。通常の演劇でも、一生懸命に準備に準備を重ねて、それでも被爆者の気持ちに沿うことは困難なのに、そのような、打ち合わせもなしで“安易に”劇にされてはたまらない、そんな“安易なもの”で被爆者の方の思いを軽く扱わないでいただきたい」という批判をいただいたことがある。この批判そのものは、被爆者のつらい思いを大切に守りたい、安易に扱わないでほしいという真摯な思いから発せられるもので、その真摯な思い自体、きわめて正当なものであるし、むしろ、こういった被爆体験継承にかかわるという場において、最も大切にすべきことである。残念なことだが、現在様々な形で行われている被爆体験継承の諸活動の中で、被爆者自身が“軽く”扱われ、また、“利用されている”というむなしさ、怒りを生むものがあるのも事実である。本稿筆者は人づてに聞いたことであるが、そのような、被爆者の気持ちを十分に受けとめていない演劇の企画もあるようである。
もし、本当に“安易に劇にされてしまう”のであれば、このような批判をしてくださる人の不安はきわめて妥当である。しかし、言うまでもなくプレイバックシアターは、そのような“安易に劇にしてしまう”ものではない。結論から言えば、実際にプレイバックシアターに触れていただくしかないのであるが、触れる前に“安易なものだ”という先入観を持たれてしまうのは残念であるので、プレイバックシアターを実際にはまだ体験したり見たりしたことのない人に紹介する時にあたっての伝え方の方法をしっかりと検討する必要性を痛感する。
そしてもちろん、プレイバックシアターの具体的実践が、いつも、「テラーの尊厳に敬意を払う」という観点で万能だというわけでは決してない。いや、正確に言えば、プレイバックシアターの形はとっているが本当のプレイバックシアターでないものの場合、それは危険なものとなる可能性がある。プレイバックシアターの精神を逸脱した行為、例えば、アクターが自分自身のエゴを満たすために演じる、つまり、テラーのストーリーを利用してアクター自身の満足感を得るというようなことをしてしまうようなことがあれば、それは、“安易”どころではなく、極めて危険なものとなるであろう。プレイバックシアターの精神を逸脱した時、それはもちろん、「プレイバックシアター」ではない。
Y.おわりに
以上、被爆体験継承活動におけるプレイバックシアター実践の可能性を検討し、プレイバックシアターが、従来の被爆体験継承活動の課題を克服しうる可能性を持つことを仮説的に提示した。そして、プレイバックシアターをソーシャルワーク実践として位置づける視座を、ミクロからマクロに至る実践レベルと、その原理の観点から提示した。今後、被爆体験継承活動としてのプレイバックシアター実践を続けていくにあたり、そこで何をなそうとしているのか、その一端を提示できたと思う。また、実施上の課題も提示した。まだ本格的な活動は始めたばかりであり、今後も真摯に課題を克服していきたい。そして、今回検討し、提示することのできた内容を土台としながら、より質の高い実践となるよう、努力を重ねていきたい。そのためには、今後の研究課題として、実践活動の記録、検証を積み重ねる必要がある。
ソーシャルワーク実践という枠組みで言えば、これまで、被爆者の方へのソーシャルワーク実践は、特に医療制度とのかかわりを中心として、真摯な努力が続けられてきている。しかしその努力にもかかわらず、被爆者の声、「ヒロシマの声」は、風化していく危機にある。被爆者の声をしっかり受けとめ、発信していくための実践を積み重ねていく必要がある。
今、筆者の手元に、2004年に出版された『戦争のつくりかた』[48]という絵本がある。この絵本では、もちろん架空の話としてだが、日本が「戦争の出来る国」に変わってしまった状態を描き出している。その本の中にある、次のような言葉が、私は印象に残っている。
「もしこの本のような社会を作りたくないなら、私たちに何ができるか考えてみたい。ただ、伝えたいと力めば力むほど、相手は聞いてくれない。知恵を使わなければならないし、長丁場に備えることも必要になる。あきらめずに、ボールを投げ続けていくしかない」[49]。
戦争のない、平和な社会を確実に構築していくために、力まずに「知恵」を使う。その知恵として、被爆体験継承におけるプレイバックシアターの実践を、今後も、真摯に、重ねていくつもりである。
<謝辞>
これまで開催した被爆体験継承公演においてテラーとして語っていただいた皆様、会場に参加していただいた皆様、また、ジョナサン・フォックス氏、宗像佳代氏、橋本久仁彦氏はじめ多くのプレイバックシアターのご指導をいただいた方々にこの場をお借りして改めて感謝の意を記します。有難うございました。
【注】
[1] 公演の詳細は鈴峯女子短期大学広報誌「すずらん」第57号(2005年)に「こんな授業をしています」として掲載していただいている。
[2] 公演の詳細は鈴峯女子短期大学広報誌「すずらん」第61号(2006年)に、「地域貢献活動とプレイバックシアター」と題したものを掲載していただいている。
[3] 中国新聞社は、広島市に拠点を置く新聞社として、最もこの「ヒロシマ」のテーマを、責任感をもって問い続けていると言えるだろう。また、財団法人広島平和文化センターは、広島平和記念資料館の運営管理を行なっている団体である。
[4] 中国新聞、2004年10月21日、p4
[5] 村上登司文「新しい内容と方法が必要 平和教育の現在―日本と世界の比較の中で」『平和文化No.160』(2006年3月号)、財団法人広島平和文化センター、2006
[6] 中国新聞、2006年4月19日、p31
[7] 中国新聞、2006年5月25日、p31
[8] 直野章子『「原爆の絵」と出会う』岩波書店、2004、p54
[9] 『同掲書』、p54
[10] 『同掲書』、p55
[11] 『同掲書』、p55
[12] 『同掲書』、p55
[13] 中国新聞、2006年5月25日、p31
[14] 「木の葉のように焼かれて」編集委員会編『木の葉のように焼かれて 第22集』新日本婦人の会広島県本部、1988、p8
[15] 直野章子、『前掲書』8、p37
[16] 『同掲書』、p39
[17] 小野京子『表現アートセラピー入門』誠信書房、2005、