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卒業論文
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「歌舞伎とプレイバックシアター」 |
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2003年4月
中家 八千代 |
「歌舞伎」について論文を書くきっかけ
ジョナサンにはじめて出会った1998年秋のスクールオブプレイバックシアター日本校でのこと。
ほぼ初心者で参加した私には刺激的な時間であった。
そこで、何気なく語られるストーリーの奥深さ、そしてそれを感じ表現する難しさ、厳しさを知った。が、同時に表現する楽しさも大いに味わった。
その中の一つに「歌舞伎プレイバック」があった。
リビングの階段をステージにして行うという、遊び心たっぷりのジョナサンの提案であった。歌舞伎が好きだった私は、得意満面で見得を切った。そして歌舞伎調でのアクティングにチャレンジした。それは、とにかく、わくわくして夢中で、楽しかった。
歌舞伎は華やかで豪華絢爛、役者に焦点を合わせた脚本・演出、ストーリーは数百年前と変わらぬ物を上演しているのだ。まるでプレイバックシアターとは演劇の中でも対極にある手法に思える。
しかし、ある日『助六』という歌舞伎を見て大変感動し、そして歌舞伎の様式性には、プレイバックシアターに不可欠なリチュアルと通じるものがあると感じた。
歌舞伎を紐解くことで、プレイバックシアターを深めていくヒントを見つけたいと思い、この論文のテーマを歌舞伎にしたものの、途中では全く先が見えなくなった。
しかし、筆を進めるうちに、歌舞伎400年の歴史に「演じる」ことへの「心意気」とその徹底した観客に対する「心使い」を感じた。
演じることへの「真摯さ」だ。
われわれは、テラーに対しての真摯さは忘れない。真摯で誠実な舞台は感動を呼ぶことを知っている。
しかし、演じることへの真摯さは二の次にされがちである。が、演じることへの真摯さがもっと増せば、もっと感動を深めることができるだろう。
演じること、それは単に演技することではなく、「心を映す」ことである。
この論文では、歌舞伎から学んだ「心を映す」ヒントを得て、私のプレイバックシアターに対する考えを述べるものとする。
2003年4月
中家 八千代
第一章
歌舞伎について
1. 日本の伝統芸能
歌舞伎は能、狂言、文楽とともに日本を代表する伝統芸能の一つである。
これら日本の伝統芸能の大きな特長は「伝承芸能」であるという点である。口から口へ、肉体から肉体へ、そして型から型への物理的伝承を今に繋いでいる。型を伝承することにより、その戯曲の心、その役の心をも伝承している。
河竹登志夫著の『歌舞伎』に1963年に、史上初のユネスコ主催で「東西演劇国際会議」が開かれたときの興味深いエピソードが載っている。
当時英国オールドビッグの次席演出家であった、デクスターというシュークスピア専門家が、「伝統演劇の現状とその継承、および新しい実験の試みについて」というテーマについて語った内容である。
イギリスでは伝統の「保存」ということはありえない。シェークスピアでも、私たちの努力は、いかにして昨日の演出をうち破って、新しい舞台をつくり出すかということに向けられている。それが伝統、古典の継承の道なのです。
しかし、この日の晩に能の「卒塔婆小町」に招待された彼は、翌日下記のように発言している。
私は昨夜の舞台に心の底から感動し、そして少なからず惑乱されました。いまはとても日本の古典芸能について論じるどころではない、が、私の考え方は変わりつつあるようです。すくなくとも昨日いったことは、日本の伝統演劇には当てはまらないことがわかりました。
さらに、河竹氏は続ける。
西洋ではおなじ戯曲でも、つねに時代とともに新しい解釈、新しい演出をもとめて動き続ける。それが西洋において古典を現代にいかすこと、つまり継承のありかただ。しかし、日本の芝居には何百年つづく「伝統様式」「型」があり、それがそのまま現代に生きている__この本質的なちがいを、デクスターは直感でとらえたのでしょう。それは結局、西洋では劇文学だけが古典として伝えられるのにたいして、日本では役者の肉体の動きを中心とする上演芸術performing artとしての全体が、古典あるいは伝統をなしている__というちがいに帰せられるわけです。
とある。
能、狂言は600年、文楽、歌舞伎が400年・・・この間に培い伝承され、今も尚、現代を生きる我々に、しかも、日本人に限らず感動を与える“上演芸術performing art”とは、「型」といわれるの肉体的伝承の賜物なのである。
2. 日本の芸能の歴史
日本史上最初の芸能に関する記述は、日本最古の勅撰の正史である「日本書紀」、現存する日本最古の歴史書「古事記」のどちらにも記されている、「天の岩戸」の件である。
天の岩戸の物語
日本の創生史神話に登場する日本創生神の伊邪那岐命(イザナギノミコト)の娘で、“日の神”であった天照大神(アマテラスオオミカミ)が怒って天の岩戸に篭ってしまい、そのために日(光)がなくなり、世の中が真っ暗になってしまった。
そこで、困った八百万の神々が集まり、天照大神を岩戸から出てこさせる作戦を練った。その作戦とは、「天宇受売命(アメノウズメノミコ)が岩戸の前で一心不乱に踊り、それを観ている八百万の神が大笑いをするその騒ぎに、天照大神が興味を持って岩戸をあけたので、世の中に日が戻ってきた。」というものであった。
ここで登場する天宇受売命が日本芸能の祖と言われている。
天宇受売命の踊りは、神事としての儀式的、呪術的、シャーマン的な踊りであったと想像される。
この天宇受売命に象徴されるように、日本の芸能の起源は「神に奉納する」ことを目的として始まり、やがて芸能へと発展していくのである。
この直系の発展系は「お神楽」であると思われる。
現在も、秋の収穫祭に氏神に奉納する神楽が健在な地域も多い。
この「神に奉納する」ことを起源とする芸能の発展を大きく二つの流れに分けることにする。
一つは、宮廷や武家などの上流層の文化としての発展。一つは、農民や町人達の庶民文化としての発展である。
宮廷や武家などの上流層の文化としての発展
その代表格は「雅楽」である。
奈良時代から平安中期ごろに成立していく。
雅楽は、宮廷の楽舞の総称で、国風歌舞(クニブリノウタマイ)・外来楽舞・歌物(ウタイモノ)に大別される。
元来は祭祀用の神楽に代表される国風歌舞楽舞のことを指していたが、大陸から入ってきた唐楽・高麗楽等影響を受けた饗宴用の楽舞として発展する。
同じく奈良時代に外来楽舞ととも輸入された中国古代の軽業・奇術・滑稽物真似を主とする民間芸能として「散楽」がある。この散楽は平安時代にはいると狂言の元となる「猿楽」へと発展していく。猿楽は物真似や言葉芸が中心であったが、次第に世相を捉えて風刺する笑いの風刺劇と発達し、「狂言」に発展する。
室町時代になると、狂言がさらに観阿弥・世阿弥親子の登場でより芸術性を高めた、現在の「能」を確立していく。
能・狂言が発展するにあたり、貴族から実権を奪った武士の権力者(足利義満であり、織田信長であり、豊臣秀吉等)に庇護されハイソサイティの芸術として、豪華な舞台の発達と同時に、深い精神性、哲学性を持って発展することになる。
農民や町人達の庶民文化としての発展
一方、豊作を祈って踊った農民たちの「田楽」や大寺の密教的行法からうまれた「呪術芸」などが交じり合って発展していく。
また、平安時代後半には、今様歌の流行、白拍子の存在、人形使いの傀儡(クグツ)師も活躍していることを忘れてはいけない。
鎌倉時代になると、盲目の法師が『平家物語』を琵琶に合わせて語り継ぐのが大成して「平曲」が誕生する。やがて、この平曲は浄瑠璃になり人形使いと合わさり人形浄瑠璃(後に文楽と呼ばれる)に発展していく。
また、庶民の踊ることに対するエネルギーも芸能を生む大きな要因である。
世界の多くの国々で嬉しい時、悲しい時、人は踊る。
例えば、日本創生神話の天宇受売命に始まり、奈良時代は田楽でも踊り、平安時代中期には、空也の念仏踊りが流行した。室町末期には、盆踊りが発達する。「閑吟集」に当時の流行歌として「何しょうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」という歌が収められているが、この狂えとは踊ることを意味する。ここでいう踊りは都を中心に流行した盆踊りの原型といわれる「風流」という踊りのことである。
このような歴史から、江戸時代に日本を代表する芸能である人形浄瑠璃と歌舞伎が生まれ、貴賎群集からの圧倒的な人気を博し、その芸術性を高めていくのである。
3. 歌舞伎の歴史
歌舞伎は、ハイソサエティの流れと庶民のエネルギーが合体して生まれるのである。
出雲のお国
歌舞伎の最大の特長は男性のみで演じられることである。しかし、歌舞伎の祖はお国という女性なのである。
此此かふき躍と云事有、是は出雲の神子女名は国非好女、但仕出、京都江上る、縦は異風なる男のまねをして、刀脇指衣裳以下殊異相、彼男茶屋の女と戯る体有難したり、京中の上下賞翫する事不斜
このように「当代記」に記されている。
「お国が外国風の衣装で男役を、男が茶屋の女の役となり、茶屋での戯れる様子を演じたのが京中の話題になっている」というような意味である。これが、1603年のことである。
「歌舞伎」の語源は、「傾く(カブク)」である。「歌舞妓」又は「歌舞伎」と後から当て字されたのである。当て字ではあるが、歌と舞と技とは的を射た命名である。
もともとの語源である「傾く(カブク)」の意味は、「目立ちたがり」といったところである。たとえば、異様な風体、無類の振る舞いで闊歩する人たちをさした。
このかぶいた踊りを始めたとされるお国自身が「かぶき踊り」と名づけた訳ではない。当初、「ややこ踊り」の延長として新しい試みで、打って出たのが成功したのである。「ややこ踊り」とは、関が原の戦い(1600年)で亡くなった者への弔いとして、ややこ、すなわち「いたいけない少女」達が念仏踊りをするのを指して言った。
この発展系として、1603年のお国が行った念仏踊りが「かぶき踊り」と呼ばれるようになる。
ただし、お国がややこ踊り出身者であるのは間違いないと思われるが、その経歴に関しては意見が分かれている。
いづにせよ、いたいけな少女ではなくなったお国の新しい試みとして1603年に京都の北野天満宮や鴨川の河原で行った念仏踊りのかぶいた踊りは庶民はもとより、僧や貴族、武士にも熱狂的に歓迎された。
この「傾き」の特長については、河竹登志夫著の『歌舞伎』に次のようにまとめられている。
当時の文献や絵画資料からあらためて整理してみると「かぶき(傾き・傾奇)」とよばれるようにな新奇で異常な要素は、次の五点になろうかと思います。
1.女性芸人の、しかも仮面をつけない女性の肉体の、公然たる舞台への登場。
2.男装の女、女装の男という、変身における性の倒錯。
3.茶屋、遊里、風呂屋など流行の風俗生態を生々しくあつかったエロチシズム。
4.南蛮渡来品を積極的にとりいれた、華美で新奇で派手派手しい「異相」
5.当意即妙に見物の女も僧も巻き込んで、乱舞にもおよぶ騒然とした同化共感作用。
1に関しては、公然たる舞台がキーワードである。それまでの白拍子や女猿楽と一線を描くところであり、能をまねた舞台が象徴的な一つである。
2に関しては、白拍子も装束などは男性を真似てはいたが、あくまでも女性として存在していた。しかし、お国が演じたのはその発展系で、宝塚の男役スターのようなものだったのではないだろうか。
3に関しては、傾城物という歌舞伎のラブロマンスの典型となるジャンルに受け継がれる。
4に関しては、自由に異文化に興味を示し楽しんでいる様子が伺える。南蛮渡来のカルチャーショックは大きかった筈である。
5に関しては、コンサートのような一体間がおこり一緒に踊ることができたので、観客にとってカタルシス効果もあったのだろう。
遊女歌舞伎
そして、お国を真似た、一層のお色気を売り物とする「遊女歌舞伎」が各地に登場するにあたり、風紀が乱れることとなり、1629年に幕府より「遊女歌舞伎」に禁止令が出される。
若衆歌舞伎
そこで、かわって登場するのが「若衆歌舞伎」である。前髪を切る前の美少年達が中心となり、踊りや物真似狂言を行った。もともと、芸能をリードしてきたのは男性であったのだが、遊女歌舞伎のお色気路線の踏襲を余儀なくされたため、女装の美しさを競うことになった。その結果、やはり風紀が乱れ1652年に全面禁止される。
野郎歌舞伎
翌年の1653年に2つの条件付で再開が許される。
条件の一つは、「内容を物真似狂言づくしを主とすること。」と「役者は前髪を切ってを剃った一般の男性の髪型にすること。」であった。
この月代を剃った髪型を野郎頭というので「野郎歌舞伎」と呼ばれるようになる。
野郎歌舞伎はそれまでの容色本位から脱却し、いよいよ芸の創造・進化・構築へと動き出すこととなる。ストーリー性のある出し物が増え、登場人物に立役、敵役、女形など役柄が明確になり、それを演じるにあたっての演技に工夫が進む。
元禄時代以降の発展
元禄時代に江戸では初代市川団十郎による荒事、上方では坂田藤十郎の和事がそれぞれ一世を風靡する。
天明時代は、当時の社会的な出来事を写実的に様式化した「生世話物」が多く生み出される。文化・文政時代になると頽廃した題材が多くなり、その表現も官能的でスピーディなものとなり奇抜な趣向が駆使される。
幕末には「白波物」など、泥棒が主役となるようなアナーキーな題材が見られる。表現では七五調の美しい台詞や清元や下座音楽が発達した。
歌舞伎の発達はカイミーラ
明治の劇作家、坪内逍遥が歌舞伎のことをギリシャ神話にでてくる「カイミーラ(キマイラ)」に例えている。カイミーラとは獅子と山羊と龍の頭が一つの胴にくっついている三頭怪獣のことである。
すなわち歌舞伎は「お国の念仏踊り」から発展した「舞踊劇」、「猿若の狂言」から発展した「劇」、そして元禄期に「人形浄瑠璃」に影響された「人形劇」の3つの流れが融合した多面的な演劇であるから「カイミーラ」と表現したのである。
そして、時代を反映し、時代を超え、現在尚、カイミーラとして発展し続けているのである。
第二章
歌舞伎の特長から考察するプレイバックシアター
I:劇場に見る様式、特長
1. 歌舞伎について
歌舞伎の魅力は作品・演出・役者などの総合ではあるが、独特の劇場の造りがその魅力と発展に大きく貢献している。
シアトリカリティー(劇場性)
江戸時代における歌舞伎とは、現代のテーマパークに似ていた。
例えるなら、ディズニーランドがその周辺、例えば駅や駐車場からすでにディズニーランドを感じさせ、別世界へタイムスリップできる予感でワクワクさせる。ランド内はあらゆるものが非日常的な夢の国として存在していて、自分もミッキーになったような気分を味わえるのに似ている。
1803年式亭三馬が『』に芝居小屋のことを「戯場国」と一つの国に見立てて表現している。
戯場国の天は天井と云ふ。天色玄く黄にして、青天を見ることなし。いたってすすびけがれたる色にて、時候不順ゆへなるか、炎天に雪のふること有り。また、天より花の散ること間々あり。この国の天は、木に竹をもってつぎあわせたるがごとし。ゆへにかくにかくのごときか。時によりては提灯にひとしき光り物あらはれ、天界より覗く事有り。天人にもって天人にあらず。あやまちて細引きの糸ををおとす時は、下界もつての外騒動す。
※服部幸雄著「大いなる小屋」より抜粋
江戸時代の歌舞伎は、役者が演ずる芝居そのもの以前に、芝居小屋全体が歌舞伎という特別の空間をつくりあげていたことがよくわかる。
例えば、小屋の屋根には櫓が立ち、勘亭流で書かれた役者の看板がかかり、ご贔屓から役者へのプレゼントである積み物と呼ばれる酒樽や米俵が渦高くつまれている。
小屋の中は、舞台と客席の天井が一緒で一体感があり、客席を縦断する花道が臨場感をかもし出す。舞台は、豪華な造り、大掛かりなしかけが施されるなど、非日常的な空間を持つ小屋が歌舞伎の一部として不可欠なのである。
このシアトリカリティーこそ、歌舞伎の大きな特長といえる。
ただ残念なことに、明治の演劇改良運動により、現在の歌舞伎を上演する劇場には江戸時代ほどのシアトリカリティーは存在しなくなってしまった。
銀座の歌舞伎座、京都の南座は外観が城のようにつくられ、櫓や積み物、勘亭流の看板など昔を残しているが、劇場内部や舞台はかなり大きくなり、俗にいう額縁タイプのつくりになってしまっていることが残念である。
しかし、舞台には伝統を今に残す特長が多くある。
舞台の特長
●花道
世界の中でも類を見ない舞台である。舞台下手(客席から見て左)に客席を縦断する廊下のような舞台。
●回り舞台
舞台装置や役者を乗せたまま舞台が回転する装置。
スペクタルな演出が可能になった。
●すっぽん・セリ
舞台の一部がせり上がるようにつくられた仕掛け。
特に、花道にあるセリをすっぽんという。
●定式幕
江戸時代から伝わる黒、柿色、萌黄色の3色からなる縦のストライプ柄の幕である。
幕は演目と演目の区切りとして使われるようになった。
●・
舞台の右左を現す独特の表現。客席から舞台に向かって、右を上手、左を下手という。
舞台から客席に向かって考えると左が上手で上座を意味し、右が下手で下座を意味する。
2. プレイバックシターについて
大掛かりな歌舞伎の舞台とはうって変わり、プレイバックシアターの舞台はシンプルである。同じ日本の古典芸能であったとしても凝縮された美しさを持つ能の舞台に近い。
舞台の必要性と様式
プレイバックシアターに望ましい劇場についてジョー・サラは「プレイバック・シアター_癒しの劇場_」の中で、親しみやすい劇場が良いとしている。100席以下で、舞台が客席より少し高くなっているくらいのものだ。
しかし実際我々がパフォーマンスする場合は、劇場はもとより舞台さえない会場の片隅であったり、病院の食堂の一部であったり、はたまた運動場の真ん中であったりする。
正規の舞台があるなしに拘わらず、プレイバックシアターにはパフォーマンス空間としての舞台をつくることは大きな意味がある。
なぜなら、プレイバックシアターでの舞台は単にパフォーマンス空間として存在するのではないからだ。プレイバックシアターは客席からテラーが舞台に上がってくるという特殊性を持っているからである。テラーが舞台のテラー席にやって来ることがプレイバックシアターでは大きな意味を持つのである。
どのカンパニーであったとしても基本的に共通の舞台の様式がある。
舞台の下手の手前に、コンダクターとテラーの席が並んである。正面にはアクターの椅子が4_5コ。上手の手前にミュージシャンの席。上手の奥側にキレかけがあるだけであるが、即興劇であるプレイバックシアターは、これだけで十分に表現できる。
では、この配置についてはどういう意味があるのだろうか?
テラーのポジション
私は、当初テラー席は客席の一番前正面にあるのが良いのではないかと考えていた。理由は舞台の横手から見るより、見やすいからだ。
しかし、テラーにとって見やすいことより優先しなければならないことは、自分の意思で手を上げ、自分の意思で舞台に上がって、テラー席につくことなのだ。
プレイバックシアターがプレイバックシアターであるためのベースの一つである自発性が発揮される場面である。
テラーは手を上げるまでは大勢の観客の一人であったのが、「どうぞ」と言われたときから、その場の全員から注目される唯一の人になるのだ。
唯一の人として舞台に招かれ、自分で舞台に上がり、自分でテラー席につくという儀式的プロセスこそが、テラー本人にも、観客にもストーリーが始まる準備の心地よい緊張感をもたらす。心地よい緊張感は、そこで語る人、語られるストーリーを尊重する空気、姿勢を生み出す。このことがプレイバックシアターでは大切なことなのである。
しかし、例外として私たちが行っている老人施設でのパフォーマンスでは、コンダクターが客席に入り、客席のテラーの横で話を聴くスタイルをとる。理由は殆どの人が体が不自由なのでテラー席への移動が物理的に難しいからである。老人施設においては、このスタイルであったとしてもゆったりと進めることで儀式的なプロセスを維持することが可能である。
では、次に左右の問題を考えたい。
日本では左を上座、右を下座という慣習があることには先ほど触れている。
もし、歌舞伎の感覚で舞台配置をするなら、コンダクターとミュージシャンの位置は逆転する。音楽はと呼ばれているくらいで下手で行われるのが通常である。テラーの席はお客様を迎えるのであるから当然上座である上手にきていただくべきである、ということになるだろう。
仮に、このパターンであっても慣れた者には違和感があるかもしれないが、そうでない者には問題がないように思われる。
しかし、私の推測では何故下手にテラーとコンダクターかとうい、この二人が並んで座るときテラーの右側にコンダクターが座る必然があるからだと考える。テラーの心臓から離れた位置に座ることで、テラーの緊張感を低下させる働きがある。テラーは心臓に近い左側に座られるとプレッシァーを感じるのである。ステージで自分のことを語るテラーはかなりの勇気をもってその場にいるのであるから、必然的にコンダクターが右側に座ってテラーを少しでもリラックスさせなければならない。
では、テラーが奥で、コンダクターが手前に座るということを逆にすることはできないのだろうか?コンダクターが奥で、テラーが客席側。そうすれば、上手にテラー席を持ってくることが可能となる。しかし、やはりこれもコンダクターが客席側、テラーが奥でなければならないと考える。
テラーは舞台の上のテラー席に勝手に上がってくるのではない。コンダクターが語りたい人を募り、それに応えた人をコンダクターはのである。そして「ようこそ、テラーの席に・・・」と挨拶する。もし、テラーが客席側の席では招いたことにならないのか?
「招く」を広辞苑で調べると「礼をつくして呼ぶ」とある。
例えば、家に友人を招いたとき玄関先で話をしただけなら招いたとはいわないだろう。招いたときには、家の中に入ってもらい、くつろいでもらえるように工夫するだろう。こう考えると、コンダクターの前を通り、舞台の内側のポジションに座ることは、家の中に通してもらったようなイメージに重なるだろう。
だから、プレイバックシアターのベースである「あなたを大事に思っていますよ」というメッセージを表現しているともいえる。
そして、同時に客席とテラーの間にコンダクターが存在することで無防備であるテラーを客席の好奇の視線から守るクッションの働きをしているともいえよう。
また、付け加えるならこの場を仕切る役割であるコンダクターにとって、オーディエンスと舞台をつなぐ役割としても客席側にいる必要性がある。
こう考えると、テラーとコンダクターのポジションの意味に納得がいく。
II:音楽に見る様式、特長
1. 歌舞伎について
歌舞伎には多様なジャンルがあるので、音楽もジャンルによって変わるが、そのベースは「三味線」と「唄か語り」である。
また音楽その物だけが変わるのでなく、演奏する舞台でのポジション、演奏者のコスチューム、見台(譜面台)のつくりに至るまで様式化されている。
音楽の種類
●下座
伴奏音楽のことを「」と呼ぶ。演奏されるポジションが下手にあることから「下座」という。長唄、三味線、鳴り物からなる。舞台に露出して演奏するものを出囃子というが、基本的には下手の黒御簾内で演奏する。
●長唄
歌舞伎で一番よく使われる。主に三味線と唄であるが、お囃子と合わせて演奏することも多い。主に叙情的な唄い物。
コスチュームは裃、見台(譜面置き)は白木の簡素なもの。足の部分は×に交差した板でできている。
●竹本
人形浄瑠璃で一世を風靡したがはじめた「義太夫節」のこと。
物語を語る太夫と三味線の奏者で演奏する。叙事的な語り物。
「出語り」の場合と「御簾内」の場合がある。
コスチュームは裃、見台(譜面置き)は漆塗りの立派なもので、角に房が下がっている。
●常磐津
がはじめたことから「常磐津」と呼ばれる。
同じ語り物でも義太夫に比べ、軽快な音楽。必ず出語りで演奏する。
コスチュームは柿色の裃、見台(譜面置き)は朱塗りで湾曲した足が3本。
●清元
がはじめたので「清元」と呼ばれる。
裏声を使った高い声が特徴。出語りが基本。
コスチュームは深緑の裃、見台(譜面置き)は箱に棒一本の脚である。
代表的な楽器・音
●三味線
歌舞伎の発達に貢献した楽器は三味線である。
江戸時代に入るころ、沖縄からニシキ蛇の皮を使ったが輸入され、それが猫の皮を使った三味線へと形を変え、発達した。
●お囃子(鳴り物)
能で使われる四拍子(大鼓・小鼓・締太鼓・笛)に大太鼓・竹笛・胡弓・琴・尺八・銅鑼・本釣鐘・当り鉦・木魚・オルゴール等多種多様なものが場面場面に応じて効果音として、またBGMとして使われる。
特に大太鼓は歌舞伎の象徴的な効果音として使われる。
●柝の音、ツケ
柝の音もツケも拍子木を使った音である。
柝とは、四角い柱形の木を二つ合わせて鳴らす拍子木のことで、ツケは、拍子木をツケ板に打って音を鳴らす。
歌舞伎は「柝の音に始まり、柝の音に終わる」といわれるくらい、歌舞伎の象徴的な音である。幕の開閉、道具の転換等、役者の出のタイミング等、進行の合図を一切きめる役割をするため、昔は狂言作者が打つものだった。
ツケは進行途中の効果音として使われる。
ツケは、黒子や後見が舞台の上手の端で打つ。
主に見得をきるとき、立ち回りをするとき、駆け足で出入りするときなど演技のポイントを強調するときに打つ。
2. プレイバックシアターについて
映画やテレビドラマにおいて音・音楽の役割が大きいことはいうまでもないが、歌舞伎やプレイバックシアターのようにライブで進行する演劇においては、その役割は2つに分類できるだろう。
合図としての音・音楽
映画やテレビでは「進行の合図」としての音・音楽は必要がない。
しかし、ライブである歌舞伎やプレイバックシアターには、なくてはならない役割である。
歌舞伎では、音・音楽が役者の出やひっこみのきっかけ、舞台転換や照明のきっかけとして進行する上での演出に組み込まれている。
即興劇であるプレイバックシアターにはあらかじめ組み込むことは不可能であるが、アクターとミュージシャンの間では何らかの合図としての音・音楽がはいることをお互いが暗黙の了解で舞台に上がっている。主に場面転換を促す場合とエンディングに使われることが多い。
歌舞伎では劇場に響く開演を知らせる柝の音が現実から舞台の世界へ移る心の準備をするきっかけとなる。そしてBGMである三味線の音や長唄が流れてくると舞台の世界へと徐々にわれていくのである。
プレイバックシアターでは、テラーが語った後のコンダクターの「見てみましょう」の一言の後、音・音楽が入ることによりテラーはもちろんのこと、オーディエンスがストーリーを共有する準備をし始める。
言わば、「見てみましょう」は歌舞伎の「柝の音」の役割であり、ミュージシャンの奏でる音・音楽は、テラー・観客を今から始まるストーリーの世界にう役割である。
そして同時にアクターをストーリーの役へ誘う音・音楽でもある。
実際は、物理的な役割としてアクターの準備の時間を図っているということがある。役者の準備が整うまで繋ぐ、という役割である。
要は、物理的に時間を_ぎながら、精神的にテラー、アクター、観客を一つに_ぎ、そしてストーリーの世界にっているのである。
歌舞伎音楽でメリヤスといわれるものがある。伸縮自在の生地のメリヤスになぞったネーミングで、その時の状況に応じて音楽の長短を調節するときの使われる言葉である。
プレイバックシアターでは、この言葉を借りるなら殆どがメリヤスということになる。
特に、「見てみましょう」の後のメリヤスは、気を付けなければならないのは、いくら伸縮自在といっても伸び過ぎたり、短かすぎては効果をなさない。このメリヤスの伸び・縮みはミュージシャンの責任にある場合いとアクターにある場合がある。
アクターがグズグズしていて伸びる場合、この時ミュージシャンは「さあスタート!」という合図を送っているにも拘わらず、アクティングが始まらないので、間延びし、テラーや観客はせっかくわれた気持ちがまた元に戻る。反対にミュージシャンから「さあスタート!」との合図が出される前にアクティングが始まると、十分に気持ちがストーリーの世界にいく準備ができていないことがある。
ミュージシャンが、役者の準備は整っているにも拘わらず長々と演奏するのを見ることがある。これはミュージシャンの責任である。ジョー・サラ著「プレイバックシアター_癒しの劇場_」の中で次のように書かれている。
音楽は役者の演技と同じように語り手と参加者に対する贈り物であり、ミュージシャンの高度な演奏技術を披露するためにあるのではありません。
ミュージシャンの役割は大きいが存在感を誇示することが目的ではなくストーリーのハートを際立たせるためであることを忘れてはいけない。特に、「見てみましょう」からストーリーが始まるまでの音・音楽は儀式的で神聖な感じが必要である。
歌舞伎にしろ、プレイバックシアターにしろ音・音楽が進行をリードするのではないが、ライブである以上役者と音・音楽担当者は呼吸を合わせたり、カバーし合いながら舞台を作り上げる意識を忘れてはならない。
演出効果の音・音楽
演出効果としては、物理的効果音、例えば雨音や風の音などの擬音的効果音と心情描写効果音、例えば悲しみや怒りを表す叙情的効果音。春の桜が満開な情景や雰囲気を表すBGMなどが考えられる。
例えば歌舞伎に欠かせない大太鼓は、擬音として波の音や雪が降る音まで表すことがある。籠にマメを入れてゆっくり振ると雨音に似た音がする。これは擬音そのものであるが、波音は大太鼓の音とは似ていないし、まして雪の降る音は存在しない。しかし、大太鼓のたたき方一つで雰囲気を表す擬音として十分の効果がある。また、幽霊の登場のシーンでも大太鼓が使われる。「ドロドロドロ・・・」という音は怪しい気配を十分に感じさせる。
雰囲気を高めるためにはツケの効果も絶大だ。
見得をきる場合のツケは、その役の内面的強さや怒りや悲しさを表現すると同時に誇張された表現にトーンを合わせ、見せ場として印象付ける。
立ち回りや走るときのツケは擬音効果として臨場感を醸し出す。
心情的な表現では、何かに気づいたシーンを鼓で表現したり、驚いたシーンでは三味線の音色が早くなったりする。竹本では、心情そのものが語られる。長唄などでも歌詞がずばり心情を表現するものも多い。
多彩な音楽表現が歌舞伎の幅と魅力を大きくしているといえよう。
プレイバックシアターは短い即興劇であるから、より演出効果としての音・音楽が上手く使われるとストーリーのエッセンスが明確になる。
ミュージシャンは無意識の直感で音やメロディーを選ぶのだが、音・音楽の目的を忘れてはいけない。ストーリーのエッセンスが鮮明に表現される一手段であることを。
そして、合図としての音・音楽であったとしても単に進行の合図としてだけ存在するではなく、それはそのストーリーの一部としてマッチして同化して存在していなければならない。
また、ストーリーに即した音・音楽を演奏するのは当たり前ではあるが、ストーリー毎に使用する楽器が変わったり、メロディーにばかり頼らないなどの工夫があると効果的だ。ストーリー単体だけでなく他のストーリーとの繋がりやパフォーミングアートとして全体の流れの中での効果も考慮できることが理想である。
III:衣装・化粧に見る様式、特長
1. 歌舞伎について
歌舞伎は、役柄に合わせて、化粧・衣装・かつらの様式が明確である。その外観を見ただけでおおよそ、その役柄がわかる。
また、その華やかさ鮮やかさは強いインパクトを与えており、歌舞伎を歌舞伎としている重大な要素である。歌舞伎の醍醐味は、非日常の世界、一種のテーマパークである。だからこそ、そこにはやや誇張された美しさが不可欠である。その最たるものが役者の装束なのである。
それは単に美しいだけでなく、その美しさはすべて、その役のエッセンスをいかに表現するかを徹底的に練られて、今に伝承されているということが歌舞伎の大きな特長である。
隈取
顔の骨格や筋肉に沿って陰影をつけるもの。
隈取のある役は超人的な力を持つ役柄を表現している。
赤系統の隈取は正義の味方、青系統・茶系統は悪人・悪霊を表している。
河竹登志夫著「歌舞伎」に興味深い意見が述べられている。
中国の京劇やアジアの各地で似たものがあるが、比較した場合、それらは人間の表情を抹殺して、神や悪魔など人間以外の畏怖する対象を表現するデザインからおこったと思われるが、仮面に等しい顔に作り変えている。しかし、隈取は陰影を際立たせることにより、その人間の性格を強調するためのものである。人間描写のリアリティのうえに、日本画の美意識によって創られた独自の化粧法である。
衣装
歌舞伎を楽しむ場合、その衣装の美しさや豪華さで感動する。
立ち役では、裃、素襖、着流し。
女役では、花魁の豪華な打掛、町娘の振袖、時代物のお姫様の振袖は赤の豪華なもの。
色の組み合わせ、柄のコーディネイトなど細部にいたるまで計算されている。
早代わりに何枚も着込んだり、舞台の上で一瞬に引き抜いて衣装を変える仕掛けもある。
立ち役のものだけで数百種類ある。
やはり、化粧や衣装と同様に、その役の身分や性格などによりイメージを誇張させて作られている。
女役の鬘は、比較的リアルに作られているが、姫役や花魁などの髪飾りは華やかで大きな物も多い。
2. プレイバックシアターについて
衣装
衣装・化粧のこの項目に関しては、歌舞伎とはまったく違うスタンスである。
プレイバックシアターには特別な衣装やメイクは存在しない。
即興劇であるプレイバックシアターには歌舞伎のように衣装やメイクで役柄を表したり、そこにストーリーのエッセンスを凝縮させる時間がないからだ。
しかし、まったく衣装がないわけではない。時折、布を使って、衣装に見立てるときがある。
私は、テラーの夢に出てきた赤い髪の女という役を演じたことがある。このストーリーでは“赤い髪”は重要なエッセンスであった。象徴的な役割を示すので、赤い布を大きなリボンのように頭に巻きつけて演じたことがある。鬘ではないが、それで十分な表現ができていた。
ある人が野に咲く白い花を演じるのに薄い白い布をベールのように頭の上からかけ、ただじっと佇んでいたがとても美しかった。
プレイバックシアターには特別な衣装や化粧はなくとも、数枚の布があればどんな衣装でも創ることができるのである。
ただし、衣装はエッセンスとして象徴的な時にのみ使うのが効果的である。
例外として、老人施設でおこなう時には、役を表す色を洋服として身に付けることがある。お母さん役ならオレンジの布をスカートに巻きつける、お父さん役なら濃いブルーを羽織るなど、敢えて行う。アートとしては稚拙かもしれないが、いくつものストーリーを行う中で、他のストーリーと役がかわったことを表現することは、お年よりの混乱を避ける手段としては、有効であるからだ。
同じように、セラピーのワークショップの場では、参加者が布をまとうことで役と現実の切り替えに必要なこともある。布をまとうことは役で、布をとることはデロール効果を促進する。
アクターの服装
役の上の衣装でなく、我々が舞台に立つときの服装はどうすればよいだろうか?
ジョー・サラは「プレイバックシアター_癒しの劇場_」の中で、動きやすい服装が望ましいとしているが、動きやすい服装ということだけでいいのだろうか?
まず、ニュートラル感がのぞましいだろう。どんな役にも対応可能なものだ。
しかし、注意しなければならないのは、動き易く、ニュートラル感があっても、見た目に不快感を与えるものになっていないか、という点である。
以前、あるカンパニーが黒づくめで10人近くがいっせいに舞台に並んだのを見た時に、威圧感を感じ、お葬式のようで暗い感じがし、なんとなく心地が悪い思いを経験したことがある。
プレイバックシアターは歌舞伎と違って役者そのものの美しさが重要視されるものではない。しかし、パフォーマンスにおいては、ある種の美しさは大事であると考える。
もちろん歌舞伎のそれとは全くことなる種類ではあるが、美しさは観客やテラーの心に響くものである。アクターの美しさは観客のウォームアップにもなるのだ。
美しさとは少し離れるが、老人施設でパフォーマンスを行う時、アクターもコンダクターも意識して明るい色を身に付ける。シックな色で行うと、お年寄りのテンションが低くなる傾向が見られるからだ。
この色の問題はお年寄り特有なことかもしれないが、前に立つアクターの衣装が観客の気持ちに影響を与える一例といえる。
では、美しさとは何なのか?
個人の問題としては、清潔感、デザイン、髪型、化粧があげられる。
デザインでは、ニュートラル感をだすためのシンプルなものが良いだろう。またしゃがんだときに肌が見えたり、下着が見えたりするものや、サイズの合ってないものなどは避けたい。
髪型に関しては、あまり個性的な髪型だと最初の役の印象が強く残り、次のストーリーに影響することがある。また、顔を覆う髪の毛が多いと、テラーや観客から顔に影ができて、よく見えなかったり、暗い印象となる。彫刻の時など長い髪が顔にかかり全く表情が見えないときがある。もちろんそれが効果的な場合もあるが、見苦しいときもある。
化粧も個人差があるが、女性の場合ノーメイクでは暗い印象になる人がいるので、その点には気を使いたい。また、あまりにも華やか過ぎるのもニュートラルさを感じられないので避けなければならない。
こういった細かなことではあるが意識してみるとプレイバックシアターの美しさが増すのではないだろうか。
もちろん、このことは個人のキャラクターによって一概には言えないことではあるが、美しさに対して無感心すぎないことが大事であると考える。
IV:表現に見る様式と特長
1. 歌舞伎について
歌舞伎と一口にいってもその様式やジャンルはバラエティに富んでおり、表現も多様化している。
大きくは、ストーリーを歌と踊りで表現する「舞踊劇」(ex京鹿子娘道成寺)と台詞のある戯曲、歌舞伎では「狂言」と呼ぶものがある。
狂言は下記のように分類される。
時代狂言_王朝物:古代の貴族社会に取材したもの(ex菅原伝授手習鑑)
時代物:源平合戦から戦国時代までの武将を主人公にするもの(ex義経千本桜)
お家物:徳川時代のお家騒動を扱ったもの(ex伽羅先代萩)
世話狂言_世話物:徳川時代の庶民を主人公とするもの(ex助六)
生世話者:後期江戸の下層社会を写実的に、つまりのままにえがくもの(ex四谷怪談)
河竹登志夫著『歌舞伎』より抜粋
時代狂言は、江戸時代の人々にとっても昔々の物語、もしくは上流武家社会でおこる次元の違うストーリーである。
世話狂言は江戸時代にあっての現代劇であるから、その表現においては、写実主義がみられ、生世話物では、よりリアリティな表現が見られるようになる。
荒事と和事
歌舞伎の第一次完成期である元禄時代には、江戸では初代市川団十郎が荒事で歌舞伎の大きな一時代を築き、上方(京)では坂田藤十郎が和事を完成させる。
荒事とは、歌舞伎の代表的なイメージである「隈取」「見得」が特長の狂言を指す。主人公が超人的パワーで悪人を懲らしめる単純明快なストーリーである。隈取、見得は超人的パワーの証である。荒事の独特な表現は若さ、エネルギー、怒り、神秘性、呪術的力を荒々らしく表現するところに魅力がある。
和事の代表的な展開は「やつし事」と「遊女との恋」が柱となって構成されている。大名の若殿や豪商の若旦那が恵まれた環境から、落ちぶれて、身をすのが見せ所の一つで、もう一つの大事な見せ所は遊女と恋の濡れ場である。江戸の荒事に登場する男の中の男という硬派な主人公に比べ、優しく軟弱な主人公である。かい印象の主人公なので和事といわれる。
元禄という同時期に江戸と上方では対照的な歌舞伎が完成していく。そして、後に融合され荒事の主人公と和事の主人公が登場する狂言も生まれる。
人形浄瑠璃と歌舞伎
元禄のころの上方では人形浄瑠璃が人気を博し、歌舞伎が衰退する時期があった。
歌舞伎の起死回生策は人形浄瑠璃でヒットした作品を歌舞伎にリメイクすることであった。人形浄瑠璃は、義太夫が語り、人形が演じる。これを歌舞伎では役者が台詞を言い、ナレーター的な部分を義太夫が語るという構成で行った。
人形浄瑠璃がベースになった歌舞伎を「義太夫狂言」という。対して歌舞伎のために書かれた狂言を「純歌舞伎」という。
この義太夫狂言では、リアリティを求め、様式化された写実的な表現が生まれる。また、踊りでは人形を真似た「人形振り」という高度な表現方法も生まれる。
●型
「この役はこのように演じる」と先達から肉体的伝承で受け継がれている演技、演じ方、具体的な表現の形。また、演出としての段取りや衣装・音楽・大道具・小道具等の一定のパターンのこと。
その役のエッセンスを凝縮した美しい形ちで表現する。
●立ち役(男役)
若い男性の善人役のこと。二枚目役。
超人的な豪傑な役柄を荒事師。軟派な色男は和事師。誠実でリアルな演技をする役柄を実事師。和事と実事を合わせ持ったような役柄を和実と分けられている。
●
女方とも表す。歌舞伎の最大の特長で男性が女性役を演じる。
女形の目指すところは、現実の女を単に模倣するのではなく、女性自身には気づかない女らしさ、女の魅力をも抽出し、写実をこえた表現によって芸術の域まで高められた、創られた女性像を演じることである。
演出技法 ※歌舞伎入門事典より
●見得
役者が一瞬行動を停止し、絵姿のようになって睨むこと。歌舞伎の演技が進行する中で、感情が最高潮に達したときに行われ、観客に印象深くさせるためにツケを打つ。
●六法
手や足を大きく振って勇壮に歩く演技。誇張されたポーズと動きであらわされる。ほとんどが、花道を引っ込む(退場する)ときに行われる。
●ケレン
見た目のおもしろさをねらった演出で、芝居の中にうまくはまるとひじょうに効果をあげるが、ケレンばかりが目立つと芝居自体が崩れてしまう。(早替わり、宙乗り、戸板返し、本水など)
●立ち回り
歌舞伎の闘争演技を「立ち回り」または「タテ」という。誇張された動きや手順が多く盛り込まれたもので、主として捕物や殺しの場面で用いられる。
●だんまり
闇の中で、何人かの登場人物が、無言のままで探り回るような立ち回りをすること。
●濡れ場
ラブシーンを見せる場面。音楽を用い、舞踊のように美しい型を取り入れて象徴的にラブシーンを演じる。
●愁嘆場
観客の涙を誘う、悲哀を中心とした場面。歌舞伎では、愁嘆場に力を注ぎ、全幕中でもっとも重要な部分の一つになっている。
2. プレイバックシアターについて
即興劇
プレイバックシアターの表現特長は、即興劇であること。
それも観客から選んだテラーが語ったストーリーをアクター間の相談なしで、即、演じることにある。観客は、このことに驚き感動する。
コンダクターとテラー
この即興劇の台本づくりはテラーとコンダクターで行う。自発的に自分の意思でテラーになった方に、コンダクターがインダビューしながらストーリーを創る。
テラーは観客から選ばれるのであるが、テラーの語る位置は2パターンである。
1.舞台に上がってきて、テラー席でストーリーを語る。
2.テラーが客席に居ながらにして、コンダクターの質問に答える。
テラーが舞台にあがらないパターン
テラーの気持ちのある部分を抽出して短く表現する「動く彫刻」&「ペアーズ」は観客席のその位置でインタビューする。ピンポイントな内容でインタビューするので、テラーの話も短い。テンポよく何人かに話してもらいたいときに有効である。
パフォーマンスでは、主に観客のウォームアップや中盤でのインターバル、エンディングのクールダウンなどで使われる。
テラーが舞台のテラー席で語るパターン
プレイバックシアターの醍醐味であるストーリーを行う場合にコンダクターがテラー席にテラーを招いて話を語ってもらう。
このストーリーにはいろいろな手法があるが、大きく分けるとアクターを選ぶ場合とアクターを選ばない場合がある。
殆どは、アクターを選ぶ。選ぶという行為がテラーの自発性を誘発し、テラーの意思を尊重するという、プレイバックシアターの意思表明でもある。
しかし、テラーの語った内容によっては、アクターを選ばない表現が効果的な場合もある。
プレイバックシアターでの表現
プレイバックシアターの場合は、不慣れなアクターはテラーの語ったことを忠実に再現しようと演じる。結果、演技力がなくとも、演出されていなくとも、その忠実に演じようとする一生懸命さがテラーや観客の心にフィットし、感動を与えることが多々ある。これはプレイバックシアターの大きな特長である。
しかし、テラーの語ったことを写実的に演じる以上に効果的な表現ができる。
テラーの語ったストーリーからエッセンスと取り出し、それが際立つ表現をすることができると、より効果的で感動するだろう。
そのためには効果的な手法を創造し、研究し、改善し、練習していくことが必要である。
歌舞伎においては、一つの作品を違う役者が同じ「型」で演じる。
同じ型にも拘わらず、その枠の中で創造し、研究し、改善し、練習している。そうするうちに感動する表現ができるようになる。
プレイバックシアターにおいても、効果的な表現ができるようになるためには、トレーニングを積むことが不可欠である。
前述したように、プレイバックシアターは一般の商業演劇とは違って、演技スキルや演出力がなくても、結果的に感動することは多々ある。
しかし、表現力を身に付けるとより大きな可能性が広がる。
表現力とは、個人の演技力であり、アクターとミュージシャンとで創り出す演出力である。
第三章
歌舞伎をヒントにプレイバックシアターのあり方を考える
型とは
中村獅童の『狐忠信』の練習風景がテレビで放映されていた。三津五郎より「型が違う」と何度も注意され直されていた。
確かに、腕の位置がわずかに違うだけで「型」が悪いのだ。わずかな違いの「型」が決まったときは実に美しい。見るものに感動を与える。
であるならば誰もがその「型」をマスターすれば、同じように人に感動を与えられるのであろうか?
例えば、片岡仁左衛門の演じる『助六』と市川新之助の演じる『助六』では、市川家の芸である『助六』を他家の仁左衛門が演じるとなれば、多少「型」は違う部分もあるが、ほぼ一緒である。
しかし、甲乙つけがたいくらい、それぞれに違っていて、それぞれに素晴らしいのである。大ベテランである仁左衛門の演技スキルの高さは、完璧なまでに完成されている。そのスキルの高さに、役者として、その助六という役としての「色気」歌舞伎でいう色気とはオーラのことである。さすがに人生経験の深い仁左衛門のオーラはダンディな色気で助六という当世一の伊達男を演じて、見るものの心をうっとりさせる。
22才の新之助には大役である助六であったが、新之介の場合は、スキルの前に全面的にオーラが感じられた。それは、この大役に挑む若々しい必死さ、なんともいえない「初々しい色気」が観客の心を打った。とはいえ、「型」を無視しているのではなく、「型」どおりに演じていた。
獅童について、中村勘九朗が語っていた。「まだまだ演技は下手だ。型が決まっていない。しかし、こころはいい。」と。演技はとは、「形」である。
しかし、「型」という「形」ができたからといって感動を与えられない。
「型」の芸能と言われる歌舞伎においても、「型」にこだわりながらも、「型どおり」に演じることが大切ではなく、こころが伝わることが、一番大事なことなのである。
型どおりと型やぶり
では、型にこだわることなく、こころを表現する演出を自分で編出せば良いのではないか。
しかし、歌舞伎に限らず日本の伝統芸能は、「型」が肉体的伝承によって何百年と伝えられてきている。「型」がなければなりたたないのである。
通常の会話で「型どおり」とはあまり良い意味で使われない。形としてはできているが、パターン化されていて面白みがない、心が感じられない時に使われる。
「型やぶり」は、賞賛の意味で使われることが多い。型にはまった小さい人間でないことをあらわすときに時に使われる。
歌舞伎では「型どおり」では感動を与えない。が「型破り」が良いのか?
結果的に型を破ることになるのと、単に型を破るのでは違う。
まして、型どおりにもいたらぬままに、型くずれしているのでは、お話しにならない。
「型」の継承こそが歌舞伎と思われているが、実際は「型」も動いている。
動くにあたっても、まず「型どおり」を通ることが、歌舞伎には不可欠なことである。日本の伝統芸能だけでなく、茶道、花道、書道、武道など全てに通じることだ。
「型」を受け継ぐことはその「形」ができるようになることでなく、「型」を学び、「型」に挑戦している内に「型」の奥にある「こころ」に行きつくことが重大なのだ。
「こころ」のあり方は口で説明はできるかもしれない。
しかし、頭で納得したものがこころで感じることができるのか、そしてそれを表現することができるのか、この答えが「型」の踏襲なのである。
「感受」「浸透」「反応」
今世紀最大の女形である坂東玉三郎が、「演技とは感受・浸透・反応」であると、彼のホームページの中で語っている。
歌舞伎の「型」とは、この「感受」「浸透」「反応」が包括され集積された完成度の高い「形」である。「型」を学ぶとは「反応」が表面化された「形」の部分である。
この「反応」の部分を学ぶことで「感受」、「浸透」を理解していくのである。
本来は「感受」→「浸透」→「反応」の順で演技になる。
しかし、「型」という「反応」の部分からはいることで、遡って、この「感受」「浸透」を自然と「こころ」と「体」で理解することがある。すなわち「型」は「反応」という「形」からはいることで「こころ」にいきつく有効な手段なのでである。
「型」はハートオブストーリー
この「型どおり」をやっている中でその役の「こころ」そのストーリーのこころに出会うのである。
そして、型どおりを通り越して、その役者独自の色気、オーラが伴ったとき、人は感動するのである。そこから生まれた型破りは歓迎される。
しかし、型どおりを通りこさない「型くづれ」は感動を呼ばないのである。
すなわち「型」とは、先達が思考錯誤して生み出した、ハートオブストーリーの集積なのである。そのストーリーのハート、役者の心を最大限に表現するに至った最高の「形」が「型」であるのだ。
肝心なことは、役の性根をどうとらえて解釈して、それを形象化してこの「型」ができているのか、その「こころ」を理解すべきだということです。
HP 素人歌舞伎講釈講座より
日本のシェークスピア近松門左衛門
近松門左衛門は日本のシェークスピアと言われている、日本を代表する戯曲作家である。
そして、彼の出現は当時の歌舞伎界に変革をもたらすのである。
近松は元々人形浄瑠璃の出身で34歳のとき竹本義太夫のために書いた「出世景清」が大当たりする。このころまで、狂言(戯曲)作者の地位は低かったのだが、近松の作品にはストーリー性、ドラマ性がしっかりとあり、台詞のひとことひとことが、その文章がすでに芸術的であった。
近松は人形浄瑠璃と歌舞伎と両方の狂言をかいているが、特に、現在に残る近松の名作は「曽根崎心中」に代表される人形浄瑠璃のヒット作を歌舞伎にリメイクしたものである。
この近松が生み出した「世話物」というジャンルはその当時の現代劇である。よって、近松やそのパートナーであると坂田藤十郎が目指した芝居は「写実主義」である。
近松の弟子のような存在であった穂積以貫があらわした「難波土産」に近松が語った芸術論がまとめられている。
その中に近松の考えが凝縮されている「虚実皮膜論」がある。
「芸というものは実と虚の皮膜の間にあるもの也」
近松や藤十郎が目指した写実主義とは、あるがままの事実そのものをそのまま表現するのではなく、あくまでも芝居という世界、お客の心に映る、「慰み」を得ることを目的とした写実なのである。このことを近松は「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあるもの也」と言っている。
「慰み」は古語辞典によると_気持ちの波立ちがやわらげられる。_気持ちをやわらげる。なだめる。_(心配や苦痛を)まぎらわす。とある。意訳するならば、「感動、共感、美しさ」ということになると思われる。
すなわち、芸とは、真実をリアルに表現することではなく、また真実でないことを表現するのでもない。その間に感動がある。
あくまでも、「芸なりて事実になき事あり」なのである。
例えば、藤十郎が舞台ではく草履のサイズが実際の自分のサイズでは大きすぎ、それを脱いだときに、観客から見た、その役として相応しいサイズなのか、ということにこだわったとされる逸話が残っている。
事実そのものを表現しては芝居・芸でないということである。
あくまでも、芝居の目的はお客の「慰み」であることを一に考えていたものと思われる。
芝居の目的は、事実をリアルに観客に見せることではない。リアルそのものであることは時として興醒めするし、美しくもない。観客が求めているのは「慰み」すなわち、共感、感動、こころの震えである。「慰み」とは、その芝居が伝えたい事実の内側の真実が表現されてこそ感じられるものである。事実の内側の真実を表現するにあたっては、事実ではない「虚」(脚色・演出)が必要である。
というように私は解釈をした。
現在では、歌舞伎は伝統的な誇張された芸能ではあるが、当時の人々はいかに皮膜の間にありながらも写実的にするかを考慮、工夫していたことがわかる。
「実と虚の皮膜の間」で最大限にそのストーリーのエッセンスを表現しているものが「型」なのではないだろうか。
III :プレイバックシアターへの示唆
プレイバックシアターが目指すものはまさしく、「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず、この間に慰みがあるもの也」そのものではないだろうか。
「慰み」を感じるのは、プレイバックシアターの場合は、まずテラーである。
テラーはどんなときに「慰み」を感じるのだろうか?
自分の語ったストーリーを、そのまま演じてもらったときだろう。
そのままとはどういうことだろうか?
テレビのワイドショーなどで、事件の説明をするために事実に忠実に再現ドラマに仕立てたものを目にすることがある。
しかし、プレイバックシアターでテラーが見たいものは、そのようなものではないだろう。
事実ではなくて真実である。テラーは心の中の真実を見たいのである。
そのために、我々はたくさんの情報はなくても、直感と想像力と創造力を働かせ、その真実、すなわちハートオブストーリーを表現するのである。まさに、それは「虚」である。その「虚」は、我々の直感と想像力と創造力によるアクティングによって事実通り演じられるわけではなく、ある部分はカットされ、ある部分はデフォルメされ、ある部分は付加えられるのである。またあるときは抽象的に、あるときは象徴的に、あるときは長く、あるときは短く・・・大きな男性が赤ちゃんを演じる。裸の役だからといって服を脱がない。あるときはねずみにもなれば、スプーンをも演じられるわれわれは常に近松の言うところの「虚」である。
そして、この「虚」があるからこそ、テラーは真実を見ることができ、「慰み」を得るのでる。
近松は、この「実」と「虚」の間で演じろというのである。そして、その間は「皮膜」くらいの薄さしかないというのである。プレイバックシアターのストーリーもいかに皮膜の間の範疇の「虚」であるかが「慰み」を左右するのである。
「虚」が過ぎれば、「実」に内在されている真実、すなわちハートオブエッセンスが書き換えられたり、飛ばされたり、無視されてしまうことすらあるのである。そうなればテラーの「慰み」はまったくない。
しかし、時として我々は、かけはなれた「虚」に走ってしまうことがある。特に、アクティングの落とし穴として、アクターがエッセンスを感じそこなうことはもちろんであるが、アクティングをするなかで、手法にこだわり過ぎたり、自身の演じることに酔ってしまったり、客席からの笑い声に調子に乗ってしまったりすることがある。
ここに、プレイバックシアターが歌舞伎以上に「慰み」の点で難しいことがある。
例えば、テラーの「慰み」はなくとも、客席は笑いという慰みを得ることがあるという点だ。また、反対に、テラーの「慰み」は得たとしても客席に「慰み」が感じてもらえないという場合もある。セラピーの場面では後者が起こる事もある程度覚悟しなければならないだろうが、パフォーマンススタイルでは、観客の「慰み」なくしてはプレイバックシアターの成功はない。
理想は、実(テラーの語ったこと)を元に、その実に内在されている真実(ハートオブストーリー)を直感的に感じ取り、それをアクターが行き過ぎない「虚」(想像と創造による効果的な表現方法)を混じえてテラーにとっても観客にとっても「慰み」(感動・共感・美しさ)を感じてもらえることである。
なぜなら、テラーのストーリーはテラーだけのものでなく、観客のものでもあるからだ。そして、また観客が「慰み」をえることは、テラーにとってより大きな「慰み」となるからである。
「慰み」はなぜ「感動・共感・美しさ」なのかについて。
プレイバックシアターはシアターなのだ。劇そのものなのだ。
劇は見る人がいる。
素朴な劇の展開、洗練されていない役者であったとしても心をこめて演じることができると、テラーや見る人の心を十分に打つ。「感動・共感」である。
ただ、われわれは、いつまでも素朴で洗練されない状態でいつづけることは難しい。
やはり劇である以上、洗練されたアートとしての要素が付加されることで「慰み」は大きくなるであろう。
洗練されるということは、感動・共感に「美しさ」が加わることである。
美しいものを見たり聞いたり感じたりすると人は、心が美しくなるのである。
だから古今東西を問わず芸術が愛されるのである。
歌舞伎においては、美しさは大きな要素である。
「型」が決まると美しい。一瞬一瞬が絵のように決まる。ラブシーンも立ち回りも、殺人の場面でさえ美しい。美しい役者・美しい衣装にメイク・美しい舞台装置・美しい音楽、計算されつくした美しさがそこにある。総合舞台芸術といってよいだろう。その美しさに心底「慰み」を感じるのである。
しかし、人が「美しい」と感じるのは、美しい役者、美しい衣装やメイク、美しい舞台装置、美しい音楽があるからでない。
表面的な美しさだけで、「美しい」と感じられるほど単純ではないのだ。
歌舞伎の海外公演では、表面的な美しさの出し物より、ストーリー性がある出し物や役者がかもし出す魅力が大きいものが圧倒的に人気があるらしい。
「美しい」とは表面だけでなく、表面の美しさの奥にあるその「思い」やその表面の美しさにいたるまでの工夫、努力、汗、涙、葛藤を包括して、なお、その工夫、努力、汗、涙、葛藤を表面に見せることなく舞台の上に存在することが、観客にとっては真に感動し、共感し、心が美しくなれる、すなわち「慰み」を得るにときなのである。
プレイバックシアターをアートとして深めていく過程では、やはり表面の美しさ、洗練された演技力・演出力を身に付ける必要がある。
そして、それは歌舞伎役者が心底ハートオブエッセンスを理解するために、血眼になって「型」を学ぶように普段からトレーニングが必要だ。
われわれプレイバックシアターでは、テラーのストーリーのハートオブエッセンスをつかむのに、許される時間はホンのわずかである。
玉三郎の表現を借りれば、テラーが話している間に「感受」し「見てみましょう」のコンダクターの声から一度舞台をはけ、再び登場するまでの数秒、数分で「浸透」させ、始まった時には、すでに「反応」しているのである。
歌舞伎役者が何百回も練習して表現するエッセンスをわれわれはほんの数秒、数分で行うのである。
たしかに、「反応」のスキルが洗練されていなくとも、「感受」したものがよければプレイバックシアターは心を打つ。
しかし、そこに「感受」された「反応」がより洗練された表現で演じることができたなら、尚のことのこと一層心を打つ。
「こころ」がなく、「演技」がうまい…というのはプレイバックシアターでは一番あってはいけないことである。いや、歌舞伎でも同じである。他の芸術もすべて同じであろう。
その基本の上に、「反応」としての美しさをもとめるのが、芸術なのではないだろうか。
IV :歌舞伎の様式とプレイバックシアターのリチュアル
歌舞伎を歌舞伎たらしめる様式、型はプレイバックシアターのいうリチュアルとは違うのか?同じなのか?
果たして、プレイバックシアターのリチュアルの意味するところは何なのだろうか?
歌舞伎は劇場から舞台、装束、音楽、表現の細部にいたるまで様式化されていることはすでに、述べたが、その様式が果たしている効果とは何であろうか?
「型」という様式については、舞台、装束、音楽、表現に見る「型」すべてが、先達の汗と努力の結果生まれたエッセンスの凝縮である。
だから、様式の意味する一つはエッセンスを表現するものと言えよう。
しかし、その「型」を包括するもっと本質的な「様式」のもたらす効果について、また河竹登志夫著『歌舞伎』からの引用する。
1960年にニューヨーク・ブロードウエィで初めて歌舞伎公演をしたときのこと。当時の劇評界きっての大物ブルックス・アトキンスが「ニューヨークタイムズ」に「忠臣蔵」の感想を次のよう載せている。
長官の補佐役の一人(判官)は殿中で刀を振り上げたで切腹を命ぜられる。我々の演劇ならこのような場面は血なまぐさい一、二瞬のうちに済ませ得る。が、カブキでは、十五ないし二十ものモーメントを費やし、その大部分は彫像のように、沈黙の中におこなわれるのである。しかし、勘三郎(判官)の品格ある演技と端整な儀式性によって、この場は息詰まるばかりにドラマッティックである。
歌舞伎の持つ様式の例として相応しい例であると思われる。
歌舞伎の表現様式のほとんどは儀式的である。
儀式的とは、リアルに効率的に行うのではなく、そのひとつひとつの所作がある目的に向かって紡がれていくプロセスを丁寧に演じ、見せていくことだと考える。
この紡いでいくプロセスは見ている側に、ある種の緊張感をもたらす。ある種の緊張感こそ、日常から非日常の劇の世界へう大きな役割を果たすものである。
歌舞伎の場合、演技スキルが低いとこの儀式性は間延びした、つまらないものになってしまうが、演技スキルの高い役者が演じると最大に儀式性が増し、感動を与えるのである。
歌舞伎は、この儀式性のあり方、表現の仕方によって左右されるといっても過言ではない。
また、様式には手順やルールが存在する。
例えば、「柝の音」は始まりにおいては、劇の中へ誘い、幕が閉まるにおいては劇の世界から今に引き戻す。このルールが儀式的に存在することで、場に安定感と安心感が生まれている。
この点においてプレイバックシアターのリチュアルと大いに類似している。
即興劇であるプレイバックシアターでは、歌舞伎以上に場の安定感と安心感が要求される。
その理由の一つは、歌舞伎は柝の音が響き、幕が上がるとその舞台はすでに劇の世界である。しかし、プレイバックシアターの舞台はある時はニュートラルであり、ある時は劇の世界である。舞台のある場所は劇の世界で、ある場所はニュートラルな場所である。ただ、それは客席のニュートラルさとは大きく違う物理的な場所であり、精神的な場所でもある。
プレイバックシアターでは、この境界線が目に見えない構造をしている。だからこそ、そこにリチュアルとしての枠組みが境界線の役割を果たす。
もう一つの理由は、そこでは何が語られ、どんなストーリーが演じられるか未知であるからだ。語られる内容によっては、アクターや観客に混乱や動揺を与える。しかし、リチュアルが存在するとそれを防ぐ効果を果たす。
例えば、私自身の経験、セラピーの場でのパフォーマンスでのこと。
始まってすぐ、動く彫刻のアクターとして舞台にいた。コンダクターの「今週はどんな一週間であったか?」の質問に手を上げた最初のテラーは若い女性であった。彼女は淡々と「よくわからないが、気が付けばリストカットしていた。そのときの気持ちは何にも感じていない感じだった。」と語った。さらりとリストカットという言葉をコンダクターも復唱する。セラピーの場に慣れていない私には、刺激の大きい言葉でかなり動揺した。足が震えた。しかし、そこにはリチュアルが存在し、動揺し混乱していた私ではあったが、とにかくリチュアルに従い何番目かに出て行って、感じたことを演じた。そして、リチュアルにのっとって、儀式的にアクターは皆で止まり、ゆっくり姿勢を直し、ゆっくりテラーに視線を送った。私は戸惑っていたが、リチュアルに身を任せることで舞台の上で辛うじて平静に存在することができたのである。
この経験が私にとってリチュアルの意味を体感させてくれるものであった。そこで起こる混乱、動揺はリチュアルが支えて、守ってくれるのだ。
これは、アクターとしての経験ではあるが、同様のことがオーディエンスの中で起こることもあるだろう。オーディエンスの混乱・動揺もリチュアルに支えられ守られ、場の秩序が生まれるのである。
このプレイバックシアターのリチュアルについては、ギャザリングボイスより抜粋したジョナサン・フォックスのエッセイー「私達の時代のためのリチュアル」に詳しく述べられている。
・・・そこには儀式に通じる厳粛なゴールが存在してのみ、プレイバックシアターの力は発揮されると思っている。(中略)しかし、ゆっくりとはあるが、儀式(プレイバック)がはじまり、その扉が開かれていくと人々はそこに入り込み、感情が浮上し、最終的には当然の結果として、きちんと行われたプレイバックの場においては、人々は大変情動的な体験をする。
歌舞伎においてもプレイバックシアターにおいても、様式、リチュアルから生まれる一種の緊張感が、日常ではない場へ我々を安全に誘う役目を果たしていると言えよう。
その様式・リチュアルの儀式性が丁寧に行われることにより、より効果をもたらすことも共通している。そこから生まれる美しさも人の心に響くと言えよう。
そして、歌舞伎はその様式を守り、伝承するプロセスで、その様式はますます磨かれる。
プレイバックシアターは即興劇であると同時に、その場にいる人の心模様に直結した心理劇でもある。その場にいる人々の心の安全を守るためにも、よりリチュアルを意識する必要がある。そして、効果的なリチュアルとは、その儀式的な手順だけではなく、その手順が歌舞伎の「型」のように美しくかつ、誠実さで優しさを内包した形で表現されるなら、なおさら、感動的な贈り物となるであろう。
論文の最後に
歌舞伎とプレイバックシアター、その舞台は対極にある質の表現と思われたが、このように検証してみると、人の心を動かす根底は共通していることがわかる。
歌舞伎400年の歴史から創造された芸術的な美しい表現は、河原乞食と蔑まされた身分であっても、尚、役者としてのプライドと情熱を持って「観客の慰み」のために「演じる」ことに真摯に取り組んだ、先達の「思い」から生まれたのである。
その「思い」を大いなる手本とし、われわれも、常にテラーに対し、観客に対し、一緒に舞台を創るアクター、ミュージシャンに対し、そして「演じる」ということに対し、真摯に取り組みたい。そして、それは舞台の上だけでなく、日ごろのトレーニング、日ごろの人との関わりからの延長戦であることを肝に銘じておきたい。
以上
「歌舞伎」(東京大学出版会) 河竹 登志夫著
「歌舞伎 入門事典」(雄山閣出版) 和角 仁・樋口 和宏著
「歌舞伎の歴史 新しい視点と展望」(雄山閣出版) 歌舞伎学会編
「大いなる小屋 江戸歌舞伎の祝祭空間」(平凡社) 服部 幸雄著
「夢の江戸歌舞伎」(岩波書店) 服部 幸雄著
「近松門左衛門」(草土文化) 小和田哲男監修 春樹梶尾マンガ
「虚実の慰み 近松門左衛門」(新典社) 鳥越 文蔵著
「言うて暮らしているうちに」(創元社) 七代目 竹本 佳大夫著
「悪への招待状」(集英社新書) 小林恭二著
「プレイバック・シアター 癒しの劇場」(社会産業教育研究所) ジョー サラ著
「プレイバックシアターの個人的なストーリー」(1991年発行のドイツ語文献より抜粋)
「私達の時代のためのリチュアル」(ギャザリングボイスより抜粋)
「自発性とサービス」「文字文化以前の演劇のパラダイム」(アクツ・オブ・サービスより抜粋) 上記3抜粋 ジョナサン・フォクス著
「プレイバックシアター」(企業と人材1998.920)林 紀光・宗像 佳代著
「プレイバックが提供できたこと 4つの精神障害者施設において行ったプレイバックを通して学んだこと」 羽地 朝和著
「コミュニティの中で」(日本心理劇学会第8回 シンポジウム) 羽地 朝和著
「自己のナラティブ(物語)を観ること プレイバックシアターによる効果の考察」(journal of nihsinipponn Psychodrama Society 2002 Vol.26) 諸江 健二・羽地 朝和著
<ホームページより>
「江戸紫の歌舞伎」http://edomurasaki.hp.infoseek.co.jp
「歌舞伎素人講釈」http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/index.htm
「出雲阿国」http://www2.pref.shimane.jp/kouhou/esque/15menu04.html
「玉三郎ページ」http://www.tamasaburou.co.jp
「近松門左衛門でござーい!」http://homepage2.nifty.com
「社団法人 能楽協会公式ホームページ」http://www.nohgaku.or.jp
「What is HOU」http://www.iijnet.or.jp/NOH-KYOGEN/visitor/visitor.html
「気楽な狂言ホームページ」http://kyogen.littlestar.jp/
「tomoyakkoのお気楽館」http://www.geocities.co.jp/MusicHall/4920
「からくり人形秘話」http://kids.gakken.co.jp/kit/otona/8hiwa.html
「神々の宴」http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/index.html