2006年リーダーシップ卒業論文
タイトル:プア・シアター的演技について―「風姿花伝」を参照しながら
氏名:丹下 一
提出日:2006年10月13日(金)
目次
序
1. Poor
Theatreの系譜
2. 「なにもない空間」
3. 「ハムレット」の演技
4. 世阿弥の花
5. プレイバックシアターのアクターにとっての「立つ」
6.終わりに
序
プレイバックシアターのアクターといわゆる一般の俳優との両方で作業現場を持っていると、PTの世界の人から「どう違うのか?」との質問をしばしば受ける。まったく違いはないと思っている。
ただ、プレイバックシアターのアクターには、テラーの話を「立って」聞く時間がしばしばある。一般の演劇には、あまり見られない時間である。もしかすると、演技している時間よりもこの「立っている」時間の方にエネルギーを使っているのではないかと思えるときもある。そこで、改めて舞台で俳優がどう「立つ」のかを検証してみたい。日本には、世界に誇る世阿弥という俳優・演出家がいて「風姿花伝」を書いている。自分は俳優であるので、本稿は今自分が感じていることであり、またことばも感覚的になってしまうこともあるかと思うが、舞台に「立つ」とはどのようなことなのかいくつかの視点から考えてみたい。
1.Poor Theatreの系譜
プレイバックシアターの演技のコンセプトの一つに、イェルジュィ・グロトフスキ(GROTOWSKI,
Jerzy 1933〜1999)が提唱した「プア・シアター(poor
theatre)」の概念がある。1968年に出版された「Towards
A Poor Theatre」は、グロトフスキが1959年にポーランドで創設した演劇実験室(Theatre
Laboratory)で、リツァルド・シズゥアック(CIESLAK,
Ryszard)を中心とする俳優たちとの共同作業から生まれた数々の稽古方法や理論などのメソッドを紹介し、また数々のインタビューに答える形で持論を展開している。
編集はユージニオ・バルバ(BARBA,
Eugenio)、序文は、ピーター・ブルック(BROOK,
Peter)による。その後、オーディン・シアターを主宰し上演する土地の民話や伝説に取材、野外または大空間に最小限の装置を配しての祝祭劇を得意とするバルバと、「何もない空間」のブルックの演劇的な展開をみると両者ともグロトフスキの正統的な申し子といえるだろう。
周知のように「プア・シアター」(poor
theatre)には、大島勉による「持たざる演劇」との名訳がある。一般的には、「持たざる演劇」は、「何もない空間」で必要最低限の衣装をつけた俳優により、創出される演劇と考えればいいだろう。
プレイバックシアターでいえば、椅子(または箱)しか置いてない空間に黒いズボンにシンプルな単色のTシャツや白いシャツを衣装としてつけた俳優の演技によって成り立つ劇空間、である。
では、英語のpoorには、どのような意味があるか? 研究社のNEW ENGLISH-JAPANESE
DICTIONALY をひいてみると、
1. 貧しい、貧乏な(対語として、rich,
wealthy)
2. 貧弱な、乏しい(a poor
country=貧弱な国)
3. 貧相な、みすぼらしい
4. 劣った、悪い、粗末な、へたな、まずい
5. 不健康な、気力のない
6. やせた、不毛の
7. 不幸な、不運な
8. 卑しい
などとある。
どうもマイナスのイメージばかりのようである。では、グロトフスキが、このようなマイナスイメージの言葉を使ったのはなぜか? poorに向かい合う対象がはっきりとあったからだ。大劇場で豪華な衣装や装置に囲まれた、richでwealthyな演劇をグロトフスキは、「文学、立体美術、絵画、建築、照明、演技が場面を作るためにまとめられた総合的な演劇。これが「現代」の演劇であり(後略)rich
theatreである」(Jerzy
Grotowski “Towards
a poor theatre”)と呼んだ。このrich
theatre対して、演劇実験室の作業をpoor
theatreと名づけたのである。
そして、このpoorという反語は、poor
theatreの方が、richでwealthyであると暗に主張している。「持たざる」には能動的な意思がある。
「グロトフスキー(注:訳文のママ)は、貧乏を理想にする。彼の俳優たちは、自分の肉体以外のいっさいを放棄してしまった。(中略)彼らの演劇こそこの世で最も豊かな演劇だという気がする」(ピーター・ブルック「なにもない空間」神聖演劇より/訳:高橋康也・喜志哲雄)
グロトフスキによれば、演劇の本質は、戯曲にあるのではなく、ましてや装置にも衣装にもない。それは、人間の身体・肉体にこそある。したがって、俳優の身体以外のものは、極力排除するべきである。というのがその基本の考えだ。
「表層的な部分を徹底的に検証していった結果、私たちは、演劇が成立するためにはメイクアップも個性的な衣装も、背景的な装置も、固定されたパフォーマンスエリア(ステージ)も、照明や音響の効果等々もまったく必要ないという結論に至った。本当に必要なものは、俳優間の真の交流、演出、いきいきとしたナマの一体感である。」(Jerzy
Grotowski “Towards
a poor theatre” 訳:丹下)
たとえば、「宮殿の中の玉座に座る王」という設定があったとする。Rich theatreでは宮殿の装置をつくり、床は赤いカーペットを張る。中央に玉座として宝飾された椅子を置き、王の衣装をつけ錫を持ち王に扮した俳優がそこに座っている。
それに対し、「なにもない空間」に箱がおいてあり、黒の短ズボンをはいただけの男が一人、木の棒を持って座っている、というのがpoor
theatreのスタイルである。そこには視覚的な説明は一切ない。そして、その男を王たらしめるのも、その場を宮殿にするのも、すべて俳優の演戯にかかっている。
演劇実験室の稽古場では、男性は黒い短ズボンのみ上半身ははだか、女性は短ズボンに黒のTシャツが基本で、からだの線が見えるように配慮されている。
小道具として、たまに長さ70センチくらいの棒が用いられることもある。それは、1959年に東京で生まれた私には即座に、チャンバラごっこに使うのにちょうど良い、と思わせる棒であるが、王様ごっこの錫にもちょうどよいに違いない。
当時の演劇実験室のパフォーマンスは上演写真をみるしかないが、医者役が白衣などの衣装をつけていることもある。「アクロポリス」では、同じデザインのシンプルな衣装をつけた俳優たちが様々な動きをしている。衣装は記号化され、俳優の個々の身体とグループでのエネルギーの高まりが写真からも伝わってくる。(写真1)ロシア・アバンギャルドのフセヴォロド・メイエルホリドのビオメハニカ(メイエルホリドが考案した肉体の効率を重視した俳優訓練法。この演出法は現代のシルク・ド・ソレイユなどに受け継がれている)や早稲田小劇場の「トロイアの女」(演出:鈴木忠志)のコロスの演技を連想させるに充分である。
有名な「不変の王子」でのリツァルド・シズゥアック(ピエタ役)の写真は、腰にぼろをまとっただけで、poor
theatre的だが、何枚かの写真から彼の身体能力が特化したものであったことがわかる。(写真2)

写真1:実験演劇室「アクロポリス」
写真2:「不変の王子」でのリツァルド・シズゥアック

グロトフスキの舞台を見たことがない自分には彼らの演戯については、残された文や写真、かかわった演劇人からの話から想像するしかないが、いかにして今までになかったからだの動きを発見するのか、精神的な部分と身体的な部分との両方から同時に述べている。それは、自分の心の中の深い部分を掘り下げる作業でもある。
「グロトフスキー(訳文のママ)にとって演劇は、自足した目的ではない。(中略)自己探求、自己救済への道の一つである。(中略)俳優は、自己のあらゆる側面を掘り起こし、探求しなければならないからだ。絶えざる訓練によって、彼は肉体と精神を統御する技術を学んでゆく」(ピーター・ブルック「なにもない空間」)
「Towards A Poor Theatre」では、「自己を探求する」ための自分のからだの発見の方法、発声法などについて、丁寧に紹介されている。一般的で表層的な演技を否定し、人間の深層から表出される演技を発見するためのエチュードである。ただし、グロトフスキは、即興の演技には否定的だった。
先にあげた文の中で、グロトフスキは、「一体感/communion」ということばを使っている。これは、教会で日曜礼拝などのあとに、その場にいる全員でお茶を飲み語り合う、といった時間のことである。そこでは、教会のスタッフと集まった信者の間の境界が取り払われている。
グロトフスキがアメリカで注目されるようになる前提として、ジュリアン・ベック(Beck,
Julian)とジュディス・マリーナ(Malina,
Judith)のリビング・シアターの活動がある。リビング・シアターは、1951年の結成以来、従来の様々な「枠」を取り払うことに重点を置いた。既成の概念から自由になることに大きな価値が置かれたといってもよい。その中には、「芸術と生活との区別、劇の中の行為と社会の中の行為の区別、生活することと演技することとの区別、観る者と演じる者との区別、そして最終的に革命と演劇の区別を消去しようとする、舞台上に現実性を乗せていく実験も含まれていた」(セオドア・シャンク「現代アメリカ演劇」より)
彼らは時には「犯罪者集団」として扱われながら米国内にとどまらずヨーロッパや南米を放浪した。
その作品では、観客との具体的な交流も大きなポイントで、観客への挑発から後には舞台上に観客をあげて一緒にシーンをつくるなど、その点で、かなり即興的、ハプニングやイベントの要素が大きく取り入れられた作品作りを行ってきた。
また、後にリチャード・シェクナー(Richard Schechner)は、パフォーマンス・グループでのシーンとして俳優の訓練のための様々なエチュードをそのまま舞台に取り入れた。
それとは対照的に、グロトフスキにとって、即興の要素を含むエチュードは、あくまでも俳優が何かを発見するための過程にすぎなかった。
2.「なにもない空間」――The Empty Space
「Towards
A Poor Theatre」の最後の部分には、1967年12月1日にグロトフスキが受けたインタビューの抜粋が収録されている。ニューヨーク大学の芸術学科でシズゥアックとともに4週間にわたるワークショップを終えた後に行われたもので、インタビュアーはテオドール・ホフマン(Theodore
Hoffman)、リチャード・シェクナーほか。この中で、グロトフスキは、芸術にはartistic
ethicが重要であると訴えている。この言葉は、グロトフスキのオリジナルな言葉で芸術的倫理観とでも訳せばよいか。また、「キリストは数々の奇跡を起こして見せたが、人間の倫理感を即座に変えることはできなかった。だから、人間は倫理に関しては長い時間をかける必要がある」とも発言している。そして、このartistic
ethicということばは、プレイバックシアターでの「ritual」という言葉に通じるものがあると思う。
今まで「なにもない空間」とカッコでくくって書いてきたのは、この「」がartistic
ethicにあたると考えているからだ。ただの何もない空間をartistic
ethicにより「なにもない空間」という劇的な場に変えるのである。それは、ことばでマニュアル化することができない、「なにか」。それを感じ取るように感性を磨くのも俳優としての重要な訓練である。
ピーター・ブルックの「なにもない空間」は、本当に何もないわけではない。「桜の園」では、劇場の床にしかれたじゅうたんが唯一の装置であったが、大きな効果をあげていた。「マハバラータ」では、舞台一面に砂が敷き詰められ、火が焚かれた。「ハムレット」では、大きなカーテンが吊るされた。
サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」では、舞台中央の一本の木が空間を決定している。1953年に書かれたこの記念碑的な戯曲に対し、50年以上もの間、様々な演出家たちが、どのような「木」を舞台に設置するか知恵を絞ってきた。時には、それは紐でつながれた風船だったり、空間の中央の階段であったり、後ろの壁の中央の柱であったりした。そして、日本の別役実は、それに触発されて「一本の電信柱」という装置を発明した。彼の戯曲の殆どが、電信柱のある風景の中で展開される。
俳優の身体が、シンプルに屹立するのであれば、対峙する空間にもシンプルで力強い仕掛けが要求される。祭儀=ritualの空間にはそれを支える強いエネルギーが必要だ。
日本の東北の山伏神楽では、装置は正面に吊るされた一枚の幕だけであるが、冬の農閑期に家々を廻る際に、8畳間の畳を取り払うと現れる正方形の床、ここが舞台になるのだが、その正方形のかたちも祭儀にとって重要な要素である。
近年ある別の地方の神楽の上演に当たり、一般の劇場で上演するためにその正方形の床を観客席に向かって台形に開いているのを見かけたことがある。本来、左右に向かい合って座して演奏する楽師たちも「ハ」の字に開いて座っている。演技のレベルは変わっていないのだが、いまひとつ迫るものがないように思えた。その理由は、正方形の舞台の形を崩したことにある。楽師たちが向かい合って、音をぶつけ合うことでたまっていったエネルギーも、台形にひらいた客席に向かって、垂れ流されている。極端に言うと普通の舞踊公演と変わらず、神への捧げものとしての舞、という基本の要素が崩れてしまっていたのだ。
究極の「なにもない空間」のひとつを日本で上げるとしたら、仏教の伽藍である。伽藍とは「なにもない」「からっぽ」という意味である。そして、法華宗や時宗の僧侶によれば、それは何かが入ってくるのを待っている空間である。「からっぽ」という強大なエネルギーで、外からの強いエネルギーを受け止めるべく、呼び寄せているのである。
3.「ハムレット」の演技
Poor theatreは、ピーター・ブルックが「何もない空間」the empty spaceと呼ぶ概念に受け継がれてゆく。自分は、ブルック演出作品は80年代に「桜の園」、02年に「ハムレット」を見ている。チェーホフの「桜の園」は、舞台に豪華なカーペットが敷かれたのみの装置。ただそれだけで没落貴族の屋敷を十分に表出していた。家族が家を捨ててゆく最後の場面では、それが丸められ劇場の素の床が現れる。
俳優の演技の方は、基本的にはリアリズム演技であり、戯曲に忠実だった。そして、どの俳優も動きがシンプルで明確。ガーエフがビリヤードの玉を突く動きをからだだけで繰り返すのだが、空間に直線が残るような動きだった。
そして、02年の「ハムレット」である。「桜の園」では、出演者は全員白人だった。ロシアのストーリーを様々なヨーロッパ人が演じるのだから、リアリズムという点で違和感はあまりない。だがこの「ハムレット」では、中心となるハムレット役をジャマイカ系イギリス人、黒人が演じた。他はほとんどが白人。(ブルック作品の常連で楽師も務める日本人が脇で生演奏した)
いうまでもなくハムレットはデンマークの王子、白人で金髪碧眼を連想するのが普通である。これに対してブルックは終演後のトークショーで「ハムレットは“このデンマークは牢獄だ”と繰り返す。だがハムレットの上演に際し、デンマーク政府や国民から抗議がきたことはない」と話した。そして「自分は、観客は演じている俳優を通して“ハムレット”を見ていると思っている。だから人種や肌の色などは関係ない」と続けた。
日本の新劇は、戦後かなりの間、西欧の作品上演に当たって白人役を演じる俳優は、金髪のかつらをつけ、顔を白く塗り、付け鼻までつけていた時代がある。また黒人役は、顔を濃い茶色のドーランで塗るのが当たり前とされていた。まだカラーコンタクトが登場する以前のことで、登場していれば大いに使用されたに違いない。現在でも、髪を「自然な」色に染めることが多い。外見から(も)似せていくことが、重要だと考えられていた。
新劇の草創期である1920年前後には、海外に出て実際の外国人の日常生活に触れる人が少なかったため、たまたま見聞きしたものが少数派なのか大多数を占めるのかの判別ができず「フランス人は公衆トイレに入った後、手を洗わない。髪をちょっと直すくらいだ」などという話がまことしやかに伝えられた。自分は、パリのトイレでたくさんの人たちが手を洗うのを見ながら、この逸話を懐かしく思い出した。
ピーター・ブルックは、演戯の根幹は外見よりも内側にあると主張している。彼のハムレットを演じたジャマイカ系の俳優は、「to be,
or not to be,」の台詞を左手首に右手の指をあてて、ちょうど脈をとるような姿勢で演じた。実際に俳優は、自分の脈を感じながら台詞を吐いているであろうことが客席まで伝わってきた。秀逸なシーンだった。そして、多くの観客はその演戯・そしてその俳優を通じて「ハムレット」を観て、感じていた。彼は、自分のからだを通して、ハムレットのエッセンスを観客に伝えることに成功していた。
髪が金髪でなくても、目が青くなくても、デンマーク語を話さなくても、そして、タイツをはいていなく下着一枚で車椅子に乗っていても、またはそんな事をしなくても、ハムレットはハムレットなのだということをピーター・ブルックは、シンプルでストレートな方法で示すことに成功していた。
日本の鈴木忠志が早稲田小劇場やSCOTでシェイクスピアを演出した場合、シェイクスピアの台詞をつぶやく「ある男」という二重構造をとることが多い。これは、人種の壁を越えるひとつの方法である。また、大きな異化効果を生む方法でもある。俳優個人が演じる「ある男」がつぶやいたり演じてしまう「ハムレット」。
千賀ゆう子企画で自分が演じたときもハムレットの本を読みながら「このデンマークは牢獄だ」と繰り返す男、という設定でシーンを構成した。中央に座った男とその周囲の円周上を逃げ続ける女(オフィーリア)。
これらの演出には、ハムレットやオフィーリアといった「役」というものはなく、あるのはシェイクスピアによって書かれた原文を日本語に翻訳したことばたちである。そのことばたちと向き合うことで、原作に書かれた「ハムレット」の深部と出会おうとする試みであった。
ロバート・ウイルソン(Wilson,
Robert)の一人舞台「ハムレット」も、巨大なスクリーンの前に作られた大きな台に横たわる男(ロバート・ウイルソン)が、ハムレットの12の長台詞を語る。最初のパートでは、男は後ろ向きに横たわり、右足を上げた不自然な形でまったく動かないまま、台詞を語り続ける。振り向いた男は、白塗りで道化を思わせるメイク。上手の壁には、古ぼけた白いレースのワンピースがピンで留めてある。
2時間を一人で汗だくになりながら演じるのだが、「to be,
or not to be,」は、舞台前面中央で正面を向きながら語った。そして、何度か回転した。それまでにも何度か回転する動きがあり、それも含めてこの舞台には、反復/中断というコンセプトが鮮明に仕組まれている。
そして、後半(この舞台には、無人でスクリーンを使った中入りを境に前半、後半に分かれている)で腹の出た中年男のウイルソンがくるりと回転するときによろけた。これはよろけた振りをしたのではなく、実際によろけたのだが、きれいに動くことが出来ないくらい疲れることまで計算して動いた結果だと思われる。正確に反復されていたものが崩れた瞬間だった。それは、ハムレットの台詞を喋り続けるロバート・ウイルソンに限りなく近い「ある男」が生々しく透けて見えた瞬間だった。
この男はなぜそこまでして必死にハムレットの台詞を語り続けるのか。その疑問にこたえる美しいシーンが最後に用意されている。観客は、最後に「男」が白いドレスに向かって「オフィーリア。。。」と語り始めるときに、「ある男」の白いドレスの持ち主への思いをはっきりと了解する。
生きていくということは、死へ向かうということ。死の世界では、白いレースのワンピースを着ていた人が待っている。繰り返される回転。延々と繰言のようにことばを吐き出す道化。といったイメージが展開される。その世界に魅入られてしまった限りなくロバート・ウイルソン本人に近い「ある男」。この限りなく本人に近い「誰か」、という仕掛けが、舞台上で俳優ロバート・ウイルソンを限りなく自由にしている。
もしかするとこの「男」は、この世をさまようハムレットの亡霊にとりつかれているのかもしれない。そして、ここでいうハムレットとは、一人ではなく、様々な「ハムレットたち」なのかもしれない。この瞬間に、演じているロバート・ウイルソンのからだの中から複数のハムレットたちが立ち現れてくるのである。
4.世阿弥の花
世阿弥(ぜあみ)
1363?〜1443? 室町初期の能役者、能作者。大和猿楽観世座二代目の大夫。
父観阿弥の教えと、将軍足利義満の厚遇を得て、猿楽を幽玄美の極致である夢幻能にまで高め大成した。演戯者としても名人。
また中世思想の基盤となっている禅などの思想を踏まえ、創造的かつ芸術的香気あふれる作品を数多く生み出した。
「風姿花伝」「花鏡」をはじめ、二十数点の著書を遺し高度な能の理論を樹立。
動乱の時代に生き、数奇な運命の波にもまれながら、なにものにも屈せず生きた世阿弥の生涯は、能の生命力の強さともいえる。
――「講談社大百科事典 グランドユニバース」より
日本の義務教育の科目には、国語、数学、理科、社会そして外国語があり、そして音楽、美術、体育がある。なぜ「演劇」という科目がないのか常々疑問に思っている。この科目は明治維新以後に設定されているので、美術、音楽も西欧のものを中心に学ぶようになっている。従って、日本人にとって宮城道夫よりもベートーベンやモーツァルト、葛飾北斎よりもゴッホやセザンヌという名前のほうが馴染み深いものになった。また、戯曲が国語の教科書に掲載されたシェイクスピアも同様だ。そして、世阿弥の名前を知っている人は、シェイクスピアを知っている人よりも少ないに違いない。
日本では、「演劇」は舞台芸術ではなく遊芸として扱われてきた。そして、遊芸は社会的地位の低い賤民によってなされるものであった。永和四(1378)年6月7日、将軍足利義光が、まだ藤若と称していた少年時代の世阿弥を連れて祇園祭に出かけ、酒宴の席を共にして酒を酌み交わしたのを目撃した内大臣三条公忠(きみただ)は、「後愚昧記」に「この如き猿楽は乞食(こつじき)の所行」と口を極めて非難している。
この視点は今日に至るまであまり変わっていないのではないかと思われる。過去の日本の歴史には、舞台芸術――芸術としての理念を持つ演劇や音楽――は生まれなかったという考えが一般的なのではないか。
世阿弥は、室町時代中期、14世紀の後半から15世紀にかけて、父の観阿弥が発展させた能を引き継ぎ、舞台芸術として大成させた芸術家である。そして、彼が遺した数々の伝書は能のための理論にとどまらず、あらゆる演劇に通じるものがあり、日本の中世における芸術思想を的確に表しているものとして高い評価を得ている。
世阿弥は、「花鏡」「至花道」「二曲三体人形図」「五音」など二十数種の伝書を残しているが、「風姿花(華)伝」は、最初の理論書で世阿弥は当時56歳。世阿弥の伝書の中で「花」が表題に用いられているものは、ほかに「花習内抜書」「拾玉得花」「却来華」がある。また、彼は表題や小さな見出しなどにも花ということばをよく使う。世阿弥の能芸論の中でも花に関する考え方は、その根幹をなすものといえるだろう。この頃では、あまり聞かなくなったが、自分が若い頃は「花のある役者」「花のある舞台」ということばをよく聞いた。
「風姿花伝」第一年来稽古条々は、能役者の年代を追って稽古の方法を述べている。
稽古を始める「七歳」では、「うちまかせて、心のままにせさすべし。さのみに「よき」「悪しき」とは教ふべからず」とあまり厳しい稽古はいさめており、子どもの自然な良さを引き出すように、と述べている。世阿弥は、スパルタ式の稽古は勧めていない。
「十二三」では、幽玄(優美さ)が生まれ、「いよいよ花めけり」最初の花が生まれるころと説く。いわゆる「時分の花」である。しかし、その「時分の花」は、変声期を終えて姿かたちが中途半端に大人になってくると自然に消えてしまう。
そして「二十四五」は、芸能の定まる初めであり、「声と身」が定まり年盛りに向かう芸能が生じる。「当座の花にめづらしく」――新しい時代の美しさを持った花を咲かせることもある。しかし、この比(ころ)の花は「初心」(初めて事に当たる未経験な状態:観世寿夫による)であり、その花を過信するとたちまちに消えうせてしまう、とも述べている。
「三十四五」が、能の盛りの極めだが、「いまだまことの花を極めぬ」のであり、「四十四五」になると、身の花(身体的な魅力)もよそ目の花(観客の目に見える魅力)も失われてゆく。そして、もしこの頃までに失われていない花こそ「まことの花」であると力説している。
では、「まことの花」とは何か。「風姿花伝」の中に「時分の花、声の花、幽玄の花、かやうの条々は、人の目にも見えたれども、その態(わざ)より出で来る花なれば、(中略)又やがて散る時分あり。されば、久しからねば、天下に名望少なし。ただ、まことの花は、咲く道理も散る道理も、心のままなるべし。さればしかるべし」とあり、「時分の花」は、肉体的条件および技術によって生じた花であるが、「まことの花」は心の働きによると述べている。
世阿弥は、劇作家であり作曲者であり演出家でもあるので各方面から様々な方法論について記している。そして、あくまでも基本を演戯者として書いているので、それぞれが常に演技、そして稽古と関係づけられる。
「風姿花伝」の序の最後に、稽古の条々として
一、 好色・博奕・大酒。三重戒、是、古人掟也。
一、 稽古は強かれ、情識は無かれ
とある。
表章によれば、「稽古」とは、いわゆる練習はもとより、実演や研究の積み重ねをも含む修行全般を意味し、「情識」とは、慢心に基づく強情な心という意味である。(日本思想体系「世阿弥・禅竹)補注による)
観世寿夫によれば、
「ただ日夜にわたって烈しく稽古をおこなえばよいというのではない。(中略) 単に肉体的な修練だけをすることによって、もっと広い人間としての生き方がゆがめられ、頑な性格になってはいけないということが含められている」(観世寿夫著作集1「世阿弥の世界」習道論より)
と解される。そして、観世寿夫は、続けて「これは江戸時代を通過した後世の人間にとって驚くべきことである。世阿弥は“役者馬鹿”をすでに否定しているのであるから」と続けている。現在の演劇状況から見ても、大変進歩的な考えといえるだろう。ちなみに情識を「常識」と読み違える誤読も現代演劇の現場では、多く見られる現象である。
世阿弥のことばは、時としてこのように誤読されて伝わっている。
「二十四五」の項目で世阿弥が述べる「初心忘るべからず」の「初心」は、「初めて事に当たる未経験な状態」(観世寿夫)のことであり、「新鮮さ」とか「純粋さ」を意味するものではない。「未熟さ」の意味である。したがって、世阿弥は「初心に帰る」ことは、「下手な時代に戻る」こととし、否定している。「初心に帰って頑張ります」などということばを聞くたびに残念な気持ちになる。
能役者が舞台に立つ基本の姿勢を「カマエ」という。天上から引き上げようとする大きな力と引力よりも強く下方に引っ張る力が拮抗し、前後左右、丹田を中心にあらゆる方向からの引っ張り合いの力の中間点に立つように、と教えられる。そして、前からのエネルギーが後ろからのそれよりも少し勝ったときに、そのときの呼吸で足が出て、ハコビ(基本的な歩き方)となる。能ではハコビはすべての演戯動作の根幹となる。
観世寿夫は「演戯者からみた世阿弥の習道論」のなかで「“ハコビ”ひとつをとってみても、現在私は、歩くからだというものが一本の線のようでありたいと、自分自身心がけているが、それは、人間の肉体が顔だの背中だの脚だのからなりたっていることを忘れるほど、一本の線のようにハコビができたとき、はじめてその身体を使って、どんな肉体やどんな人間性をも表現することが可能になると信じるからである」と述べている。まったく同感である。
2006年10月に東京で「国際サミュエル・ベケットシンポジウム 東京2006」が開催され、ベケット晩年の作「クワッド」が上演された。この作品は、舞台上に正方形とその対角線を引き、その上を4人の俳優がリズミカルにすり足歩行するというものだ。プレイバックシアターの「ユニオンジャック」の設定を連想することもできる。この上演は、観世寿夫の弟子だった鉄仙会の清水寛二、西村高夫ら4人の能役者によって演じられた。(演出:笠井賢一) 歩行を完全にコントロールできる能役者だからこそ成立するパフォーマンスである。
さて、世阿弥は役に扮するための稽古は、物まねわざ、それも「まことに、いたり得た高い境地の演戯者になるための稽古は、三体からのみはじめるべきである」と書いている。三体とは、「二曲三体論」の三体であり、老人・女性・武人の三種の役のことである。世阿弥はすべての物真似の基本としてこの三役をあげている。
物まねわざは、世阿弥以前大和猿楽の基本であり父の観阿弥も得意としていたが、これは表面的な模倣を主とした演戯であったと思われる。そして、世阿弥の作品が次第に夢幻能的になるにつれて、単なる写実では追いつかないある抽象性をもつ演戯が必要となってきたのだろう。
観世寿夫は、世阿弥の「本意の物まね」ということばを、
一、 老人なら老人、女性なら女性の、部分的特徴を、誇張してなぞることではない。
二、よぼよぼの老人や美しい女になりすました気分になってみたところで、それでは表現にならない。
(中略)こまかい細部表現以前に、対象そのもののもっとも基本的な特質をまず捉え、それを自分のからだと心とをとおして技術化する方法、それが世阿弥のいう物まねわざである。
と解説している。
また、「風姿花伝」の「第七 別紙口伝」には、「物まねに、似せぬ位あるべし」という部分がある。老人の役だからといって、腰を曲げたり、膝を折ってよろよろと演じるのはよくない。現実の老人は、年寄りらしく見えまいとしてかえって若々しく振舞いたがるものだから、そうした老人の心理を捉えて演じるべきだというのである。
また「拾玉得花(しゅうぎょくとっか)」では、女性の物まねは「体心捨力(たいしんしゃりき)」、つまり内的な心の充実感を大切に、その心そのものを体となして、もともとの体のほうは力を抜くようにと説いている。からだだけでもなく、心だけでもなく、その両方を有機的につないでいることが重要である。
5. プレイバックシアターのアクターにとっての「立つ」
世阿弥が言うように、俳優は、常に一番深い本質を見つ